日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ザイルパートナー

見事な呼吸だった。阿吽とはこれの事だと実感した。

近所の散歩道。家の外壁塗装だろうか足場を組み上げている現場があった。パイプで器用に組み立てる足場は見ているだけでも不安定だが、あれが崩れるとはあまり聞いたこともない。なるほどつなぎ目は専用のジョイントがあるし、力のかかる箇所はリブの役割をするサポート金具もあるようだ。これらのお陰だろう。

足場の上に居る職工さんに向けて、下から職工さんが「ポーン」と放り投げたのだった。それを足場の上で見事に捕まえたのだった。投げる高さも、向きも正確で、なにより放り投げる際に下からも上からも掛け声もなかった。目線だけだったのだろう。

重さは5キロはあるだろうか。鉄の足場金具。取り損ねて落下したら大きな音を立てて鉄の塊は飛び跳ねるだろう。安全靴であっても、避けたい事態だ。

しかし二人はまるで見えないピストンの様に動きあい、大きく上に振った手から離れた重たい金属部品はすっぽりと上の職工さんの手に収まったのだった。

ああ、すごいな。絶妙な呼吸感だな。

そんな彼らを見て、歩きながら頭に浮かんだ言葉。「ザイルパートナー」。

雪の稜線で、岩場の登攀で、相手が落ちたら自分の身で確保する。その為にはアンザイレン。パーティがザイルで体を結びあう。相手がザイルパートナーだ。パートナーとの間にあるのは、まず信頼感。そして互いの確かな技術。自分が落ちても確実に止めてくれる。相手が落ちたら確実に止めるぞ。そんな気持ちでザイルを結んでいるのだろう。

岩も雪もやらない自分の山歩きではザイルパートナーを必要としない。しかし、見えないザイルがある。

山スキーでは常に雪崩のリスクもあるが山を選べばそれはある程度は回避できるだろう。むしろ突然やってくるホワイトアウト、道迷いが怖い。スマホのソフトとGPSが進化して現在地は直ぐに分かるようになったが、信頼できる同行相手がいるといないかでは山の安心感は大きく異なる。ストップ&ゴーを繰り返す山スキー。一度でも呼吸感を共有すれば、そんな仲間とは季節を選ばずに、共に行動することが可能だ。山スキーばかりでなく、夏山縦走でも、軽ハイキングでも。トレッキングの分野だけでなく、サイクリングでも。相手の人柄を知り技量を知り信頼をするならば様々な難局も上手く互いに乗り切れる、そんな関係になりえる。

いや、トレッキングやサイクリングばかりではない。最大のザイルパートナーを忘れてはいけない。家内だろう。

「病める時も健やかなるときも…」結婚式で神父さんに聞かれるだろう。そして「誓います」となる。それは短いながらも、重たい言葉だと思う。

実際、夫婦には山も谷もやってくる。波乱万丈が待ち受ける。若き日の誓いはとうに忘れていても、いつもお世話になっていると気づく。考えてみればパートナーの呼吸感、今の感情などよくわかる。30年以上共に暮らしているのだから当然だろう。

日常という名の日々の中でザイルを結んで歩いてきた。そこが平和そうなプラトーでも隠れたシュルンドが口を開けて待っているかもしれない。ザイルは解けない。渡ったナイフリッジの岩質が脆いものだったらどうなっていただろう。岸壁に打ったハーケンがスポンと抜けたら、果たしてビレイは効いたのだろうか。結果的に自分たちは目下上手く切り抜けてきた。

掛け声なくお互いの呼吸感のみで重い足場金具をやり取りする大工さんに、そんな余りに当たり前になっている事を教えてもらった。見えないザイルに支えられて毎日があると。支えてもらいながら先頭を歩くか後ろから支持するか、どちらでも良いし役割は頻繁に入れ替わるだろう。ただただ踏み外さぬようにすれば良いのだ。時々絡んでしまうこともあるが、気長にほどいていくのだろう。

ハーケンで足場をつくりザイルで安全確保。結んだザイルは時折絡むのが厄介だが、結局はお世話になっている。