日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

パリジェンヌ

首都圏の地下鉄はますます複雑になった。郊外を結ぶ私鉄との相互乗り入れが拍車をかける。かつては諳んじていた路線図ももうさっぱりわからない。昔ながらの小さな車両が走る銀座線と丸の内線に乗ると何故か安心する。ロンドンのチューブも小さな車両でヒースロー空港から市内へチューブを選ぶと酸欠を感じるほどに窮屈だ。パリのメトロも小さい車両だ。どちらも古く歴史があるからだろうか。

これは日本の地下鉄ではもちろんロンドンのチューブでも見たことがないが、パリのメトロはなかなか面白い。駅から荷物とともに乗り込んできたと思えばすぐにそれを開き何と人形劇を始めるのだった。すると誰もがそれを見てウララーと口に出す。次の駅で乗ってくる人は横幅がでかい。いやよく見ればアコーディオンを肩から掛けているのだった。乗り込んてすぐに演奏を始める。有名なシャンソン「パリの空の下」などが流されると車内は活気ずく。慣れたもので演者は続ける。時にもの悲しい旋律も弾く。ジプシーの歌だろう。いずれも彼らの前には小銭受けが置いてある。SVPと書いた手書きの札もある。シル・ヴ・プレ、s'il vous plaît の略字。Pleaseの意味だ。音楽はメトロの通路でも広場でも鳴っている。

演者は男女問わずに老人もいれば若い人もいる。若い女性が無造作に結んだ金髪を揺らしながら演奏していると見入ってしまうのだった。ああパリジェンヌだな、と。彼女は小銭よりも表現者でありたいのかもしれない。

住んでいたドイツでは殆ど見かけなかったのに何故かフランスに住み始めたら見かけるようになったのがジプシーだった。特にパリには多かったのは大都会だからだろう。信号待ちの車に駆け寄りいきなりフロントガラスの掃除を始めて金をよこせと来るのは旧植民地国であるモロッコチュニジアあたりのマグレブ諸国の人、それにジプシーと決まっていた。ドイツではトルコ人がそうだったようにフランスではマグレブとジプシーが社会の底辺を支えているようだった。ジプシーを現地人は「ロマ」と呼んでいる。ルーマニア辺りから流れてきたのだろう。やや侮蔑のニュアンスを感じる。その起源は北インド辺りと聞く。地続きのユーラシア大陸。民族移動。島国の日本人にはピンとこない。永遠の流浪人といわれたジプシーも今では定住している人も多いと聞く。ならばパリで生まれ育ったのならパリジャン、パリジェンヌと呼べるのだろうか?そこは日本人の自分にはわからない。

アコーディオンといえば日本ではどんな印象だろう。チンドン屋がまず浮かぶ。新装のスーパーやパチンコ店があれば街なかに繰り出していたがそれも今は昔の風景だろう。むしろ伝統的庶民芸能となったかもしれない。アコーディオンで自己表現をする有名なプレーヤーも出てきた。自分で空気を吹き込みキーや鍵盤を押さえるのだから感情表現に向いていると思う。

ステージを終えた自分が所属するバンドは次はブラックミュージックのルーツ寄りのサウンドを目指すことになった。奴隷船の寄港地であったニューオリンズサウンドになるだろう。そこはフランス人の入植地でもある。ルイジアナにはアフリカとフランスの文化がフュージョンしてクレオールケイジャンと呼ばれる独自の文化がある。出張でルイジアナは一度だけ行った。ニューオリンズダウンタウンバーボンストリートにはすてきな音楽で満ち溢れていた。それにはアコーディオンが欠かせないように思う。リハーサルのスタジオにバンドメンバーの人脈を活かしてすてきなアコーディオン奏者に加わって頂けた。さらりと弾かれると狭いスタジオがパリになった。

ギターもベースもエレクトリックサウンドだ。元はバンドでキーボードを弾いていたと言われたがアコーディオン専任になり久しいとのことだった。そんな彼女はアンプから出てくる大きな音に戸惑い気味のようだった。僕らはアンプのボリュームを少し絞った。原曲にはないアコーディオンソロが入ると俄然にルーツミュージックの感じが高まった。フランスの匂いも溢れる。蛇腹を動かしながらボタンを押しキーボードを弾くとは神業に見えた。

楽器に性別はないが素敵なシャンパンレッドのプレイヤーさんの愛機は女性に思えた。スタジオの隅にパリジェンヌが置いてあるのだ。そこから豊かで哀愁のある音色が広がる。奴隷とジプシーの音楽でもある。音量では叶わぬともそれはエレクトリックサウンドを凌駕していた。

これからメンバーのアンサンブルでこの音を育てていく。新しい音楽へのトライはなんとも楽しい世界だった。

アコーディオンは目指す音楽には欠かせないようだ。これまで感じたことが無いサウンドに鳥肌が立った。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村