日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

高原の花

南アルプス鳳凰三山だっただろうか。夏山の風景の中に鮮やかなピンク色が揺れていた。紫がそこに交じっていた。北アルプスの笠ケ岳を目指す沢沿いの道だっただろうか、広い沢の渡り返しでぽつんと赤紫色が夏空に浮かんでいた。欧州最高峰・モンブランを巡る長いトレッキングルートだった。イタリア国旗のたなびく小綺麗な山小屋で一夜を過ごし緩い下り坂で湿原に出た。背後には雄大な氷河があり凡そ日常とかけ離れた風景だった。その風景を深く頭に刻み込んでくれたのは、やはり湿原の縁に揺れる赤紫色だった。

ヤナギランは魅力的だ。夏の亜高山帯には欠かせない。青い空に生えるピンク色、いやそこに薄紫色が加わる。赤紫という表現があっているかもわからない。一言で言い表せないのはもどかしい。しかし美しさとは簡易な形容詞で飾れるものでもない。

膝丈、いや腰丈だろうか。スッと立ちその立ち姿の毅然さを崩さぬ範囲で薄紫の花を幾つも咲かせるのだった。それが風に揺れる様は赤紫色の空気の反乱にも思えるのだった。僕はその立ち居振る舞いに一発で虜になってしまった。しかし都会生活者にはヤナギランは遠い。だからこそ出会えると嬉しいのだろう。

高原の地に引っ越してきた。最寄りの高原でヤナギランが見事だという。昨年の今ごろは違う高原にニッコウキスゲを見に行った。黄色く大きな花で覆われた高原は霧に沈んでいたがかえって美しかった。今年はニッコウキスゲを見なかった。しかしニッコウキスゲの大ぶりでけばけばしい黄色い花よりも、ヤナギランの主張の少なさが好みだった。ヤナギランの咲く高原までは車で十五分だった。管理人さんの話ではもう花の盛りは終わりごろとのことだった。

八ケ岳の作った広大な高原だった。そこに懐かしい赤紫色が揺れていた。多くは枯れていたが何とか間に合った。綺麗だね、そう妻と話した。しかし夏山らしくたちどころに黒い雲が現れた。ドン・ドンと低くくぐもった音がした。下山を急いだ。じっくりと鑑賞することも叶わなかったが雷に濡れる事も無かった。

降り出した雨の中、ワイパーを動かしながらその足で山麓にある野草園を目指した。ヤナギランが一株残っていた。もう花もなく茎と葉だけだった。もらい受けて庭に植えた。

ここのところ定期便の様に夕方に一雨来る。植えたヤナギランはどうなっていただろう。小さな芽吹きを見て取れた。海抜九百メートルで根付いたか。もう夏は終わった。あと三百六十五回、いや三百四十回程度か、地球が回れば、きっと空気は赤紫に染まるだろう。

八ケ岳の高原に揺れていたヤナギラン。いつも魅了される。

北アルプスの沢で出会ったヤナギラン。これまで登りの疲れも飛んだ。秩父沢にて

ツール・ド・モンブランで出会ったヤナギラン。モンブラン山塊から流れる氷河をバックに。長い山旅のフィナーレの花だった。イタリア・コンパル湿原