日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

もう行くのか?

庭に木を植えてから俄然来客が増えた。鳥だった。ホトトギスカッコウも数か月前までは毎朝うるさいほどに鳴いて、自分を覚醒に誘ってくれていた。が、何時しか聞かなくなってしまった。彼らが鳴く理由がパートナーへの求愛であるならばそんな繁殖の季節は終わったのだろうか。あるいはそれは他の鳥の声に交じり目立たなくなったのかもしれない。

庭仕事の合間に何気なく空を見ると視界をさっとよぎる。それは庭に植わっているナンテンの枝を一時の休憩場所と選んだようだった。来訪者が多いので最近は300㎜レンズを付けた一眼をデッキに置いてある。狙って撮った。

植物にも動物にも自分は全くの素人で、見てもわからぬ、覚えても忘れる、それの繰り返しだった。今は写真でもネットで検索できる時代になったのですぐに答えを求めてしまう。…それはジョウビタキだった。

ルリビタキジョウビタキ、どちらも名前だけは知っていた。昔のテレビドラマだっただろうか、ルリビタキジョウビタキを見ることが出来れば幸せになる、そんな言い伝えがあり、薄幸の主人公はこれらの鳥を見て幸福を掴む、そんな話だった。書いてしまうとつまらない話だが、お陰で鳥の名前だけは覚えていた。

全体的にグレーだが、おなかの部分は薄茶からオレンジ色、確かに写真に収めた鳥もその通りだった。ジョウビダキは渡り鳥とある。ロシア極東地域や中国北部、朝鮮半島あたりで繁殖し、春から夏にかけて日本に飛来するとのことだった。冬になると更なる越冬地へ向かうという。小さな体に海を渡る力が何処にあるのかも不思議に思えた。

中学・高校の頃の自分の一番の愛読書は北杜夫の「どくとるマンボウ航海記」だった。北杜夫はドイツの作家トーマス・マンが書いた小説の名前、トニオ・クレーゲルを模して自分のペンネームを決めたというほどトーマス・マンに傾倒していた。ドイツに憧れるあまりインド洋から地中海、北海へまわる水産庁のマグロ調査船に船医として乗り込み多くの異国に初めて接し、憧れのドイツの地を踏む。瑞々しさに満ち溢れた彼のこの一冊のお陰で自分も又まだ見ぬマラッカ海峡、セイロン、ポルトガルからオランダ、フランス、ドイツと。知らない土地や国への憧憬が湧いた。そんな彼の一冊は欧州から再び海路で帰国するシーンまでが描かれている。その中で今でも印象に残っているページがあった。

書棚から新潮文庫を取り出し開いた。最後の見開き頁だった。船が東京湾への帰港する数日前に、四国沖で四羽のツバメが魚群探知機の上で羽を休めていたという。南方から日本へ飛来する途上で低気圧に巻き込まれたのだろう、みすぼらしく濡れて汚れ切ったツバメは手を出しても逃げ出そうとしない。つぶらな瞳でこちらを見つめ羽毛の中に首を埋めるだけだった。翌朝彼らは黎明の海へ飛び立った、そんな記載だった。なぜこのくだりを覚えているのだろう。渡り鳥が洋上の船で羽休めをしただけだが、それを見守る北杜夫の優しい視線が自分を魅了したのだと思う。

我が家の木の枝で羽休めをしていたジョウビタキだった。言葉が通じるのなら聞きたかった。まだここに居るのか?越冬地へもう行くのか?居るのならこの庭木など好きなだけ使っておくれ、と。しかし彼は忙しく庭木から庭木に飛び移り、やがて裏手のミズナラの林へと消えて行った。

昔のテレビドラマではないが、さて自分達にも幸せが来るのだろうか。

庭に来たのは小さな渡り鳥だった。幸福を運んでくるとテレビドラマでは言っていたが、どうだろう。好きなだけ骨休めしてほしいのだ。