日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

懐かしの駿東を巡るサイクルツーリング

サイクリングの楽しみ方は人それぞれだろう。

自分は「走りヤ」でもなく「峠ヤ」でもない。「ロングライド」にも関心がない。峠もロングライドも結果であり目的ではない。一人で走る気ままな小さな「旅」に興味ある。気心の知れた仲間と走るのならニ・三人まで。山歩きと同様で、旅は独りか小パーティが一番。それ以上になるとばらけるし、パーティとしての統率、連絡の取り方、行動時間の制約など厄介な事が増えていく。旅が気楽なものではなくなってしまうのだ。

行程中に自己との対話を続けることのできる一人旅が気ままで一番良い。が、もう若くもない。ましてや病をして体力やバランス感覚が大きく変わった。それもあり今も今後も、お相手頂ける限りは独りか数人までの行動をしていきたいと思っている。自己との対話は、同行の仲間と適度な距離感を保つことで、可能だ。

サイクリングでのルート選びの肝は、鉄分補給・・気になる鉄道(多くは地方私鉄やローカル線、昭和の時代の車両が走る鉄道)に出会える事、素敵なB級グルメがある事、そして続けているサイクリング一筆書き(自宅から最終的には一本の線に走った・歩いたルートがつながる事)につなげられそうなこと、あとは何らかの個人的な思い入れのある場所、になる。

そんな観点で選んだ今回のルートは、静岡県は東部。駿東と言われるエリア。三島駅から沼津を経て富士に軌跡をつなごうと考える。鉄分は長年の憧れ・岳南鉄道B級グルメ駿河湾の海鮮。一筆書きは直ぐにはつながらないが、長期的には何らかの可能性があると踏んだ。加えて、三島は自分にとって大切なエリアだ。健常な時も病める時も、この街で勤務をしていた。懐かしいを越えた存在でもある。

いつ行こうか迷っていたが早めに目が覚めた。天気予報も悪くない。それでは、と早速家を出た。

急ぐ必要もない自分は鈍行列車の旅で十分だ。沼津迄は東海道線の直通もあるが国鉄分割民営化でそれも減った。多くの場合でJR東日本JR東海の境である熱海での乗り換えが必須だ。今回は小田原、熱海での二回乗り換えだったが、小田原駅での乗り換えに階段がある可能性も考えその前の国府津で次発を待った。小田原・熱海と乗り継いで見慣れた三島駅に来た。駅が近づくにつれて南側に見えてくる沼津アルプスが思いのほかに立派だと、改めて思う。多くの人は北側の愛鷹山と富士山に目が奪われるのだろう。しかし南にもそれなりにてこずらせてくれる山がある。

三島は東京勤務時代は出張で週に一回は出かけていた。そして事業部の場所が変わりそこで7,8年。更に再び2年程度勤務した街だった。当時は新幹線回数券や定期での出張・通勤。今回はもちろんそれはない。システム上データを通して処理が出来ないのだろう、スイカでの入場はそのままトイカの改札機では出場できない。それももう何年も変わっていない。多分変わらないのかもしれない。

三島駅。すべての風景は懐かしく、というか、全く違和感がない。違いは通勤服ではなく自転車ウェアになり、鞄がどでかい輪行袋になっただけだ。ランドナーを組み立てて走り出す。街の道は住人レベルでわかるので何の心配もない。もう退職してしまった勤務地の前でサドルから腰を外して懐かしい思いを感じていれば、知った顔が駐車場からやって来た。「休日出勤をしている部下に食べ物の差し入れ」と言われていた。彼とも3年近く前までは毎日顔を突き合わせて仕事をしていたのだった。

彼に手を上げて挨拶をして、自分は走り出す。狩野川のほとりは気持ちが良い。井上靖の「しろばんば」を読んでこの川の名前を知ったのは小学生の頃だった。沼津の漁港レストランには急な連絡にも関わらず趣味の農作業を中断して会社の恩人が会いに来てくれた。沼津での海鮮にも舌づつみ。

沼津の海岸を走り鉄分補給へ。今回は岳南電車だ。富士市吉原駅から岳南江尾駅までを走るローカル私鉄。富士市の片隅にある。子供のころ毎夏の帰省に乗った東海道新幹線。車窓から発見した小さな電車に夢中になった。それが岳南鉄道だった。新幹線の高架の下に、時に置いて行かれたような小さな駅があった。昔は人もいたのだろう駅舎も簡素だった。京王の昔の車両、井の頭線3000系、それに本線用5000系がここで第2の人生を送っていた。3000系は7000系と名前も変わっており、ステンプラカーと言われたステンレスとFRPの独特の顔立ちも少し異なっていた。しかし昔懐かしい。井の頭線は短期間だが通学列車だったのだ。ゲージの異なる5000系はどうやって改軌したのか、と余計なことも浮かぶのは鉄分豊富な悲しい性だ。この時が止まった風景のなか遮断機もないのどかな踏切の警報のみが鳴りだして、旧3000系がゆっくりと出発していった。血圧がマックスになり卒倒しそうになる。

直流1500ボルトで単線を走るその古い電車の上を、高架線を交流25000ボルトで走るN700系新幹線が230キロで駆け抜ける。上下の空間にひずみが生じて、自分はそこに吸い込まれそうになった。

こんな田園に単線とはいえローカル私鉄が成り立っているのは利用客が多いからで沿線には工場も多い。もともとが工場の貨物線といういわれという。貨物運輸は廃止となりその後は地味な経営努力もあるのだろう。

鉄分はお釣りが出るほど満たされたので、富士市へ。バイクツーリングで名古屋の友人の家に行ったのは20歳になる前だった。製紙工場の異臭でたじろいだのが富士市だった。今は技術も進み匂わなくなったとは富士市に住む会社の友人からは聴いていたが、どうだろう。そうでもなかった。異臭はやはり漂う。当時ほどではないのかもしれないが。

やや疲れた感じの駅前の街を通り抜けて富士川にでた。これは山梨からや流れ出てくる堂々とした川だ。狭く混んだ鉄橋は嫌だったが細い歩行自転車通路があって助かった。豊かな流れに開放的な気分になった。

橋を渡った富士川駅で旅を終えることとした。この先蒲原由比へと旧東海道の印象を残す道が続くことは知っていたが、脚もそろそろ出来上がっていた。それはまた次の話だろう。

50キロに僅かに満たない走行だったが充実していた。今日の旅はこれでおしまいだ。ランドナーをばらして輪行袋に入れた。疲労も手伝ってか、少し時間がかかった。

学生時代に感じた富士の街の印象はあまり変わっていなかった。それもまた旅の結果だ。駿東の旅は鉄分も海鮮グルメも満ちていた。懐かしい街を走り、予定していなかった人との出会いもあった。駅そばのコンビニで買った缶ビールで心地よくなり上り熱海行きの各駅停車を一人待った。

 

追記
今回の旅で感じた心象風景は、下記にて別稿として記載。
https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/08/27/224644
https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/08/30/004549
https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/08/29/010610

 

井上靖の小説「しろばんば」の舞台たる狩野川川端康成の「伊豆の踊子」では書生さんはこの川をさかのぼり天城に至った。そんな河川は昭和33年に台風で荒れた。「狩野川台風」だ。今は治水もしっかりして長閑な伊豆の風景には欠かせない。

沼津漁港で友と別れ、千本松原を西へ向かう。右手に見えるはずの富士山は雲隠れ。しかし大きな駿河湾は素晴らしい。

長閑すぎる岳南江尾駅。駅舎らしい建物がなかなか見つからない。遮断機の無い踏切を渡ると、昔の京王電車が塗装を変更して並んでいた。

井の頭線を引退した旧3000系がゆっくりと目の前を通り過ぎて行った。

細い線路とはいえ直流600ボルトではなく1500ボルト。しかし頭上の新幹線は交流25000ボルトを受けて230キロで疾走する。時空のひずみが出来て、吸い込まれそうに思える。

のんびりとした踏切が鳴り剣道に遮断機は降りた。待てども来ない電車。すると忘れたころに二両編成がゆっくりと目の前を横切った。これが自分の好きな世界だ。

京浜工業地帯なのだろうか、とも思う。いや、それにしては空が広い。街の基幹産業たる製紙業は技術革新の時期を経てもやはり、本質はあまり変わらないのだろうか。

甲斐駒、鳳凰。そして八ケ岳や甲武信岳。そんな名山で落ちた一滴が沢となり、何時しか集まり大河になる。その河口付近を自転車で渡った。今日の旅はここで終了。最寄り駅までの数キロは、消化試合だ。

今回のルート図。アンドロイドアプリ「山旅ロガー」にてログ取得。カシミール3D上に展開したもの。