日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

日めくりカレンダー

年齢が50歳だとする。日めくりカレンダーを重ねたなら365を乗ずるので18,250枚になる。高さはいかほどなのだろう。一万円札の厚さは約0.1mmという。仮に日めくりカレンダーと一万円札が同じ厚みとし、それを積み上げていけば50歳とは1,825㎜、つまり182.5センチの高さになるということだろう。60歳になると更に365日増えるのだから3.65センチ増える事になる。すると185センチか。いずれにせよ60歳を迎えるとそんな「紙の塔」はちょっと背の高い男性よりも高くなる。これはなかなかすごい話だな、とつまらない計算をしながら考えた。

そんな事に考えが及んだのは、中学校の同窓会に参加したからだった。中学を卒業してから幾人は同じ高校に進んだが、自分は高校卒業とともに中学のあった街を離れた。親の転勤で住んでいただけだったので父が次の任地に向かうともうその街には何のゆかりも無くなった。中学の仲間とは伝手は無くなってしまった。以来45年振りだった。「還暦同窓会」と名のついた手折りのチラシを手にして、感慨深かった。70人程度の同窓生が居た。

笑顔が素敵だった女子は今も柔らかな笑みを浮かべていた。スコートの似合った日焼けしていたスポーツウーマンは今も若さに溢れていた。女子バレーボール部の花形選手は今も一言言葉を交わすとやはり懐が大きかった。目の大きな色白だった女子は音楽の道に進んでいた。

共に遊んだ友は銀髪の似合う男になり風格があった。体がデカくて皆から頼られていた友は社会に貢献する法人で様々な人の手助けをしていた。彼の胸板の厚さがそれを示していた。当時病に苦しんでいた友は病を友にして何時か乗り越えしっかりとあの頃の顔で今に居た。幹事役を買って出た方々は社会で揉まれた経験だろう、大変な準備をこなし、そつなく会を進行させていた。

誰もが一目でお互いをわかりあったのだった。再会に目を見開き、そして、笑顔が、握手が、抱擁が続いた。

70組の185センチの人生がそこにあった。幸せな日の日めくりが緑の紙で、辛い日の日めくりは赤い紙で、平坦な日々は白い紙で、そんな色のついた日めくりカレンダーだとすると、会場には70通りの色の組み合わせの「紙の塔」があるはずだった。自分の185センチはどんな色が目立つのだろう。50歳も半ばを過ぎ、人間関係に苦しみ適応障害で精神科に通った日々、そして早期退職、闘病で潰えた再就職、社会を離れた日々。そんな僕の紙の塔の上から数えた数センチは間違えなく赤だろう。緑はあったのか。結婚して子供が生まれたころだろうか。すると残りは本当に白。・・だったのだろうか。

よく考えれば、何事もなく過ぎて言った日々こそその時は感じないかもしれないが、幸せな日だったのではないだろうか。僕には同窓会であった級友たちの日々のカレンダーはすべてが緑なのだろう、と思えた。今を生きている笑顔や笑い声は、赤い日めくりとは無縁だったのだ。いやよく見るとどこかにそんな赤い紙が挟まっているかもしれないが、それは今の幸せの前に何処かに吹き飛ばされたのだろう。緑の中の僅かな赤い点など、目立つことなく消えていく。

逝去された恩師や同級生の名を読み上げその写真がスクリーンに写された。記憶があった。声も覚えていた。色々な事があったのだろう。早くして逝った同級生は半ばにして日々を積み上げる事が出来なかった。しかしそれが後悔すべきものかは誰にも分からない。すべてが緑色だったかもしれない。

誰もがこれからも0.1㎜の日々を積み重ねていく。一瞬赤い紙の日めくりもあるかもしれないが、それはすぐに風化し色あせて緑になるに違いない。同窓会の司会をされた友人は締めくくりにこう言うのだった。「次は10年後ですね。お互いに元気で楽しく過ごしましょう」と。

もちろん、そうしたいよな。緑色の日めくりを重ねていきたいな。そう思いながら、再会の名残でざわめきの残る会場を後にした。

同窓会は懐かしい街・広島で行われた。自分がこの街を離れて40数年。街は大きく変わった。しかしこの街に住む同窓生は素敵な日めくりカレンダーを重ねていた。自分も出来事はあれど何とか積み上げてきたのだろう。これからも年間3.65㎝の背丈が伸びるのだと思うと楽しいものだ。

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村