日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

呼び込み

繁華街で目的の店に行く。するとたいてい寄ってくるのは「呼び込み」氏だった。「店はもうお決まりでしたか?」「今ならハッピーアワーですよ」と。結構わずらわしいのがだ、ビールもハイボールも安くなるハッピーアワーなら悪くない。話を聞いて店に入ることもある。

「オニイサン遊んでいきませんか?」「いい娘、いますよ」。「3500円ポッキリ、氏名料なしよ」…。これらの呼び込みは後ろ髪惹かれつつ黙殺する。それで済むはずがない。一桁違う金額を請求されそうだ。

呼び込み氏も今は余りしつこくやれないらしい。警察による摘発も多いそうだ。「迷惑防止条例」が厳しくなったのだろうか。

自分が勤務する地元の方のための施設でボランティアさんがカレーを作っていた。予約制だがキャンセルもあり、何時も多めに作るので想定以上に残ってしまったようだった。困り顔の彼らを前に「呼びこみします」と手を挙げた。

バス停の前だ。車はビュンビュン通る。子供をリアシートに載せた自転車のお母さん。部活帰りの中学生。杖を突いてあるくおじいさん。色々いそうに思えるが時間帯が悪かったのかあまり建物の前を通らないのだった。そこで少し離れたバス停も視野に入れた。

「カレー作っていますよ。ボランティアさんが作った美味しいカレーです。一皿100円です。いかがですかぁ」

この一言を発するのは最初は勇気がいるがいったん口にするとポイポイ口から出るものだった。しかし現代人は忙しいのか、あまり反応をしてくれないのだった。スルーされると悔しいものだが、そのうち、そうしそうな人は避けるようになる。繁華街の客引き氏の、駅前のティッシュ配りの、駅前での選挙演説のチラシ配りの、そんな街頭の人々の気持ちは今の自分と同じだと思った。利害関係のない人間が呼び込みをしている。何が目的で呼び込みしているのか、胡散臭い。ウラがあるに違いない、そんなところだろう。

独り歩きの若い人はヘッドフォンを付けているからこちらの言うことは聞こえない。自転車のお母さんは軽く会釈してくれるがまずは子供と安全に家に帰りたそうだった。地元のご老人は杖を突いて施設まで行くのが面倒なようだった。見ず知らずの人は相手にしない事。そんな考えがいつの間にか一般化した。確かにストーカーなどの事件も増えて社会生活で気を使う事も増えた。

「全く成果なしでした」そう言って施設に戻ったら感謝され、カレーの大盛を出してもらった。ありがたく頂いた。見知らぬ人同士でも、初めて会った人たちでも、フレンドリーに笑顔で交流できる社会ならば何と素敵なことだろうか。その先にはこれほど美味しいカレーがあるのだ。

怪しいものでなければ駅前の呼び込みも少しだけ会話してみるか、そんな風に思えたのが呼び込みの成果かもしれない。

呼び込みはうまくいかなかった。未知なるものへのガードは高い。美味しいカレーが待っているのに。社会も考え方も変わってくれると楽しかろう。

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