日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

目覚めよ 悔い改めよ

ある旋律が頭の中に鳴り目が覚めた。まだ早朝だった。

その旋律には覚えがあった。しかし題名が分からなかった。今は便利なものでスマホ相手にそのメロディを口ずさめばたちどころに曲名が動画サイトの映像とともに出てくる。ははあなるほど、と思った。もう30年近く前だろうか、同僚が所属していた会社のオーケストラの演奏会を聴きに行く機会があった。その時の演目だったはずだ。また、CDもあったはずだった。

スマホに出てきた映像はヘルベルト・フォン・カラヤンベルリン・フィルだった。チープなスマホの音でも圧倒された。これだったのか、確かに嫌いではなかったがずっと脳裏に埋まっていた音楽だった。探したがもうCDはなかった。何度かの引っ越しの際に処分したのだろう。しかしデジタルデータとしてPCの中に在った。改めて聞いて楽曲の良さと迫力ある演奏に痺れた。

クラシック音楽はロックやブラックミュージックファンになる以前に自分が最初に親しんだ音楽ジャンルだった。小学生だった。入り口はバッハのフランス組曲第5番の小曲・ガヴォットだった。一分半程度の旋律がまるで宇宙だった。左右の手で対位旋律が絡み合い立体的な構築物になり宙に開放される、対位法と言う技法に魅了されたのだった。そこからヘンデルハイドンモーツァルトシューマンブラームスブルックナーへと進んだ。当時からドイツ・オーストリア音楽の偏愛者だった。ラヴェルフォーレといったフランス音楽に惹かれたのは自分の違う面がそうさせたのだと思う。色彩の多様さは印象派絵画の様でそこに魅了された。幸いにドイツとフランスに住むことが出来た。そして成程と腑に落ちた。かの地の風土を見て人と触れるならばそこにあの音楽の土壌を感じられる。

カラヤンベルリン・フィルが演奏していたのはチャイコフスキー交響曲5番の第4楽章だった。広がりのあるヒロイックな旋律。木管楽器の奏でる優雅な音色、打楽器が後押しする堂々としたエネルギーに金管がきらびやかさを加えていた。確かにチャイコフスキーは美しいバレエ音楽や有名なピアノ協奏曲などで嫌いではないはずだった。しかしドイツ・オーストリア音楽に熱中する中で、どこかで敬遠するようになってしまった。

何故だろう、ゲルマン民族の作る音楽が一番だと思っていた。それに傾倒するあまりメランコリックで土着さを感じさせる異民族の音楽はなんとなく肌が合わなかったのだろう。僕の悪い癖だった。これが良いと思いこむと他は受け入れられなくなってしまう。この考え方でこれまで幾度も失敗してきたではないか。

チャイコフスキーラフマニノフストラヴィンスキー。多くの作曲者をこれまでそんな悪い癖でやり過ごしてきた。しっかり聴いていないのだから好きも嫌いもないのだった。ドヴォルザークシベリウス、彼らも何故か縁が遠かった。マーラーに至っては好きになろうと努力したが駄目だった。

偏見や思い込みは人としての成長を阻害するものだと改めて思う。今朝のチャイコフスキーがそうだった。もっと聞けば世界が広がるだろう。

「悔い改めよ」という単語が頭に浮かんだのだった。今までの自分の考え方や行いを悔いて、改めていきなさい。そんな意味だろうか。言葉だけ覚えていたのだから実際の聖書にそれがどのような位置づけで書かれているのはわからない。手持ちの新約聖書ダイジェスト版にはそのような台詞は無いようだった。ネットで調べると様々な解説があり難解だった。そもそも「悔い改めよ」という言葉は新旧の聖書には出てこないともあり混乱した。「心と思いを変える事によって自分を神に近づけること」と書かれているサイトもあり、その日本語も又わかりそうで分からない。神に近づくとはなんだろう。信者や神学者のお叱りを覚悟で自分はこう解釈したい。「これまで謙虚でなかったことを知れ。すると新しい世界が待っているだろう」と。何とも都合の良い解釈だった。

音楽一つとっても、これだった。共に暮らす家族の心を自分は何処まで理解し共感しているかと自らを問うても、同じだった。何も知らない、己の事しか考えていないのだ、と改めて知る。謙虚でなかったのだ。家族と自分を支えてくれる周りの人々に謝り、もっと寄り添わなくてはいけないと感じるのだった。

バッハの教会カンタータに「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」という有名な曲がある。歌詞は新約聖書・マタイ福音書からの引用がされているという。「イエス様が来るから目を覚ませと」いう意味だろう。今朝の旋律ですこしだけ目が覚めたのかもしれない。自らを改めようと思ったのかもしれない。しかしまだ朝が早かった。もう少し惰眠を貪りたかった。いや、襟を正そう。それでは何も変わらないかもしれないではないか。

聖書の言葉を借りるまでもなく、自分は目覚め、悔い改める必要があるのだろう。

スマートフォンに旋律を聞かせて彼が応えてくれた映像はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=j-cyot_qvsw

 

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