日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

居心地の悪さ

400キロほど離れた北の街に住む大学時代の友人と電話で話した。LINEでも繋がっているがテキストメッセージや絵文字の交換ではなく肉声で話したいこともある。やはりアイツの顔も浮かんで話は弾む。ネット社会・IOTの時代でも電話と言うひどく原始的なツールは安心感を与えてくれる。映像付きだと身構える事もあるだろう。

最近はどうだい?元気か?
何やってる?毎日どう過ごしている?

そんな一片の挨拶でも一言交わせばヤツの状況はよくわかる。学生時代の友人とはそんなものだ。

彼は銀行員だった。常として多くの支店を回りキャリアを積んでいた。学生時代の仲間で銀行に就職した友人は彼を入れて2名。親が高齢となった自分はここ数年彼らに色々なことを相談していた。銀行には面と向かって聞きづらいことも、彼らなら何の気遣いもなかった。ありがたい友だった。

友はもう60歳を超えて嘱託行員になっているのだった。最近山歩きの楽しさを知った彼は週末ごとに近場の奥羽山脈の山を歩いていた。これからは気にしないで休みも取ってガンガン登れるな、とういうと、いやなかなか銀行って休暇が取りずらいんだ。自分が休むとそこに穴をあけてしまうからね。と言う。どうやら自分のペースで仕事を進める事の出来たメーカー勤務の営業・企画職という自分の現役当時とは違う様子だった。

「まあ責任が無くなったし、よかったな。」というと返事は重かった。どうやら居心地が悪いらしい。嘱託として配属された店は現役行員がノルマと闘いながらばりばりやっている。そんな中一人のんびりと言う訳は行かないという。やることはすぐに済んでしまうがボケーッとするわけにもいかない。「爪でも切ってさ、背中を向けてさ鼻毛を抜くのはどうだい?ブチッブチッと。やり甲斐あるよ。」と笑いながら提案すると、それくらいやりたいよ、と彼は答えるのだった。

外回りをすることもあるらしい。その時彼は車をわざと遠回りしてから銀行に戻ったりして時間をつぶしている。行員バッチを背広に付けるのだから、スタバ行けば?パチンコは?と言う訳にもいかない事はわかる。…なかなか辛いな。居心地悪いのも。

学生時代は空手部に属していた彼は昔から努力家で、奮闘努力、克己、自己鍛錬、そんなストイックな単語の似合う男だった。アパートの隣室住人だった自分はそんな彼を横目にスナックを食べてこたつに横たわりエネルギーを脂肪にため込む日々を過ごしていた。夜遅くになると汗ばんだ白い道着を抱えて帰宅するのだった。それからよく二人でとりとめのない話をした。恋の話もした。

あの頃から努力の似合うまじめな男だったから手持無沙汰は彼には最もつらい話なのかもしれなかった。定年の三年前に早期退職した自分はそんな風に「居心地の悪さ」を感じる事もなく済んででしまった。しかしそれはそれで違うストレスがある。パートの非常勤団体職員、週数度の勤務。キャッシュフローの試算結果とは別に現実に貯金残高が減っていく日々に接するのはなかなか厳しい。早く年金支給日を迎えたいとも思うがそれは自分の健康年齢の総数がその分縮まることを意味する。それも困ってしまう。

真面目な男は山歩きに加えてこれからの年齢に打ち込めることを模索しているという。彼は昔から勉強家で図書館で本を借りてきては色々考えているようだった。彼のアプローチは堅実で、参考になる。そんな彼が、仕事先に居ずらい気持ちを感じさせない程熱中できる何かが見つかると素敵だろうな。と心の中で応援している。自分もやりたいことはあってもまだ何をするかは曖昧としている。

これから来るであろう贅沢な時間を前にして「居ずらさを感じて遠回りして職場に帰った」などが昔の笑い話になるのであるならば、楽しいではないか。

彼と登った朝日連峰大朝日岳 (山形県)。またゆっくriと何処かに行くだろう。これからの時間だから。