気温は海抜百メートル上がるごとに零点六度低下する。山ヤとしてはそれは山行時の服装を考える際に無意識に計算してしまう。
山でテントや避難小屋に泊まる場合には沸点が気になる。以前は白米を焚いていた。しかし海抜三千メートルの稜線で米を炊くのは難しい。水の沸騰は百度とは誰もが知る。しかしそれは海抜ゼロメートルの話。海抜三千メートルでは九十度とネットに出てきた。体感としてはもっと低い。その温度では煮炊きに掛かる時間は変わるだろう。
標高の高い所に住んでいるからか、自分は沸点が下がったことを意識している。いや、それは違う。昔から低かった。脳の手術をしてからはさらに制御が効かなくなった。七十度か八十度で沸騰する。下手すると六十度かもしれない。
そこはとある銀行だった。固太りな男性が女性行員を怒鳴りつけていた。行内の通帳記入機で記帳していた自分にはカウンターで怒る男性の台詞がまざまざと聞えて来た。行員の案内が悪かったのか自分にはわからない。ただ彼女の人格を否定をするような言葉まで彼は吐いていた。個人に対する怒りか銀行に関する怒りなのかは分からない。女性行員はただまくしたてられ黙っていた。何故上司を呼ばないのかはわからない。
ひと月振りに記帳するのだから時間がかかった。プリンターが印字する機械音を聞きながら自分は何故か苛立ってきた。彼にだ。彼の怒りは止むこともなく、怒る自分に酔っているかのように思えた。自分の中で何かが切れてしまった。
うるさいな、あなた。ここは大衆の場所でしょ。冷静になってください。
そう言うつもりだったが口から出たのはもっと棘を含んだ言葉だった。何故か自分はこんな言葉を吐くときはかの地の方には申し訳ないが、思春期を過ごした地の言葉・広島弁が出てしまう。それは関東の人には異質なエネルギーを感じさせるのか、彼は自分を見た。その眼には異様な炎があった。ウルセエナーワリャと言いながらこちらも抑えが効かなくなってしまった。多分、自分の目も狂った光を帯びていたのだろう。
怒りの沸点が低いのだった。歯がゆい、怒る。怒りはエネルギーを伴う。大人はそれを冷静さで見直す。そして波を逃す。沸点が低いという事は直ぐに怒るという事だ。入院中に看護師さんから話を伺った。脳外科手術をするとある種の高次脳機能障害がおこることがあると。記憶、注意力、遂行機能、社会的行動、そんな四つに障害が出る。怒り、興奮、自己中心さで抑えが効かなくなるのは立派な社会的行動障害だった。実際自分は喜怒哀楽という四つの感情のすべてにおいてベクトルが異様に尖っていた、それを自覚した。しかし手術のせいではない。昔からだ。
怒鳴る、モノを投げる、自傷する。危険な運転をして何度同乗の家内の悲鳴を聞いたか。これまで割れた食器は何枚あったか、自らに出来た痣は幾つか、なぜスマホの画面が割れているのか。答えは全てわかっている。怒りのベクトルは特に伸びてしまい直ぐに危険なまでの行為に及ぶのだった。
ガン病棟で余りに毎日ネガティブな台詞を吐く男性が居た。ああ、ステージ4だと。彼はもう八十歳を超えていた。そして看護師に何時も泣きついていた。自分は彼に対しても抑えがきかなくなってしまった。ここ々は誰もが同じ境遇だ。前向きに考えるべきだと。
家の車には若葉マークが付いていた。病を治し高原に引っ越そうという目標が出来たがその地は車社会なのでと家内に免許を取ってもらった。若葉マークのせいか国道で後続車に煽られた。こちらは看板通りの速度だった。彼は隙間を縫って走行車線から追い越していった。ここでもまた抑えが効かなくなった。コノヤロウと言いながらアクセルをベタ踏みして彼をピタリと追いかけた。軽自動車は分解寸前まで振動し妻は止めてと叫んだ。狂人とでも思われたか彼が走行車線に戻り僕の怒りは収まった。勝利の笑みすら浮かべていたかもしれない。
潮が引くと綺麗な砂浜が出てくる。自分の怒りの波は、引き潮の跡に後味の悪さと後悔を残す。アンガーマネジメントという言葉を知ったのは最近だった。怒りの制御。僕が学ぶべきはそれだった。腹が立ってもまずは六秒、怒りを顔に出さぬよう我慢せよということだ。
海抜千メートルに近いこの地の沸点は九十七度という。約三%低くなるのだった。自分の沸点もその程度の低下に抑えるべきだろう。まずは六秒か。たしかにあの後味の悪さは、もう避けたい。出来るのだろうか?いや、楽しく健康に過ごすために、やるのだ。