車の中は自分にとって大切なオーディオルームだ。クラシックからソウル、ロック、フュージョン、ポップス、自分の好きな音楽はSDカードに入るだけフォルダ別に入れて再生する。たいしてよいカーステレオではないので音はチープだが、馴染の曲が限りなく流れるのでこれほど素敵な空間はない。時として片手運転になってしまい空いた手は左足の膝・スネアドラムを叩くし、曲が変われば手を変えて右手で指揮棒をもってしまう。エアドラム、エア指揮なのだから全く危険だ。
しばらく猛威を振るっていた低気圧も去ってしまったようだ。ここ数日なぜか背中を押されるような気がしている。「ああ、わかったよ。これを聞けばよいのだね。」そこで通勤の車でユーミンのフォルダを再生した。荒井由実も松任谷由実の曲もそこにはアルバムごとに入っている。
「♪赤いダウンに腕を通したら、それは素敵な季節の始まり…」
「雪だより」という曲だった。昨年ゲレンデで知り合った人から手紙が届く。失恋した私は寂しかった。そこに不意にそんな手紙が木枯らしに乗って家に届いた。それは山の雪便りだった。彼女はスキー板を取り出し、エッジの傷に息をかけて磨く。
スキーの持つ魅力と失恋した女性が冬景色にかける想いを描いた素敵な風景の様な歌だった。目が覚めたら青空が広がっていた。風も無風に近かった。手紙の雪だよりは自分には届いていないが明るい空と少しだけ棘を落とした空気がそれに思えた。それでは山にスキーに行こう。まずは足慣らしで。そう革靴と軽いテレマーク板を取り出した。目が覚めてからパッキングして一時間で家を出る。そしてさらに一時間で海抜1650メートルの高層湿原に着いた。
そこは霧ケ峰だった。夏になるとニッコウキスゲが咲き乱れる高原だった。霧ケ峰の最高峰は車山・19244メートルだがそこにはスキー場のリフトが上がってくる。スキー場がなぜ音楽を流しているのかは分からないがそんな音も聞こえるだろう。むしろその北西に広がる高層湿原を歩こうと思った。静かで空気が動く音すら聞こえそうだ。もう二十年も昔に山仲間とあたり一帯をスキーで歩き、登り、滑った。その頃は自然保護の概念も今ほどではなかったのか、帰路は湿原の中をスキーで歩いた記憶がある。今は策があり周りを木道が通っている。
この湿原をスキーで一周しようと思った。鷲ヶ峰の登山口まで除雪があったがあとはまだ雪の下だ。深田久弥の「日本百名山」の霧ケ峰の項にこんな記載があったと思う。山には登る山と遊ぶ山があると。前者は息を切らして登り後者は鼻歌交じりで歩ける、と。霧ケ峰はまさにそんな後者の山だった。
一周しても二時間だろう。昼前から歩くのには丁度良かった。木道は時に踏み抜きがあったがスキーは快く滑っていく。踵の上がるテレマークスキーに軽くて取り回しの良い革靴。クロスカントリースキー板を少しだけ太くしてエッジを付けた板だった。今回は雪上ハイキングなのだからスキーの滑り止めであるシールも持ってきていない。板の裏面にはウロコ加工がしてあるのでたいていの斜面は労せずに登れる。雪原に足跡が真っすぐに迷うことなく伸びている。狐だろう。何十年振りかの記憶はもう無かったが当時はなかったであろう休憩舎があり、また雪原の向こうには「営業中」の看板が立っていた。もう少し先にはヒュッテがあるようだ。ケーキとコーヒーセットの写真が看板に掛かっていた。立ち寄ろうかと思ったが少し時間が気になった。思い付きとはいえもう一、二時間早く行動を開始するべきだった。
二時間のスノーハイキングだった。赤いダウンは持っていないが三十年前のウィンターシェルに腕を通してきた。春めいてはきたがもう数度、雪が激しく振るだろう。雪面が大人しくなりザラメ雪の季節になると、再び聞く事だろう「雪だより」を。…そしてエアドラムをしながら山に向かう。

