日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

ハイキング・グローブ

しまったなあ、そんなふうに口にした。ゲルハルト・ヘッツェル氏がザルツブルグ近郊の山歩きで滑落死したのはバランスを崩した際に彼が指をかばい岩を掴むのを拒んだから、と報じられていた。

・・しかし自分は何だろう。只の趣味の範囲だが一応自分も弦楽器奏者だった。フレットを押さえる左手の指五本、そして弦を弾く右手は親指・人差し指・中指まではフルに使う。右手の薬指と小指は不要かと言えばそうでもない。何気にバランスを取るの役立っているし弦全体にミュートする時はブリッジに手の平、特に小指を置いて弦の余分な響きを押さえる。また親指引きをする際に右手を固定し余分な弦を鳴らさぬよう残りの指全てでのミュートが必要だ。左右指合計十本が無いと、困る。

登山道は何もなければ手を突く必要もない。しかし草原の山でもない限りはやがて出てくる。立ち木に手を掛ける。苔むした岩に触れる。冷たい岩を掴む、ロープを握る、鎖につかまる。濡れた鉄梯子を握る。左右十本の指はこうして活躍する。

雨に濡れた笹を分けて歩く。指先が少し切れてしまう。ある木に触れた。べたりと樹液が付いた。唾を吹いてこすってもべたつきは取れない。これが漆だったらと思うとぞっとした。ある岩角に指を掛けた。そうしないとその岩場を通過できなかった。指先に何かが刺さったように思えた、ちくりとしたが指先を押して揉んでいると痛みは消えた。ごろつく石にバランスを失いかけ横手の石に頼った。手のひらに石の冷たい感覚が伝わった。

ウィーン・フィルコンサートマスターが山歩きで滑落し死亡したニュースはショックだった。1970年代から80年代にかけてのウィーンフィルの映像の多くで彼がコンサートマスターだった。自分の持つ録音の多くで彼はやはりオーケストラを率いていたのだろう。岩を掴めば助かったとすら言われているが彼は指を守りたかったのだろう。弦楽器奏者にとり指先は命ということか。なんとここのところ自分は指のケアなど山歩きではしていない。

いやこれまでずっとハイキンググローブを使っていた。手のひら側には人工皮革、甲側にはゴアテックスが使われており使い勝手は良かった。三セット使った。いずれの指先も破れてしまった。それほど指先を酷使するのだった。何故新しいものを買わなかったのだろうか、後悔した。軍手でも良い、持ってくればよかった。

スタジオのリハが近い。もともと下手なのにさらに指の状態が悪く迷惑をかけるわけにもいかない。癌治療で使われた抗ガン剤・オンコビンの副作用で一時期指先の感覚が失われた時に感じた不安感を忘れたのだろうか。のど元過ぎれば忘れてしまう。

ウィーン・フィルの映像を観てみた。1976年の音源だろう。カール・ベーム翁がモーツァルトを振っている。溌溂としたピアノ協奏曲23番だ。ソリストはイタリアから来た若き俊英・マウリッツオ・ポリーニ。巨匠の指揮と溌剌としたイタリアの青年を後ろから支えているコンサートマスターはヘッツェル氏だった。この時期はライナー・キュッヒル氏とのニ枚看板だった。もうヘッツェル氏は聞けない。ベームも世を去り、若き俊英だったポリーニも巨匠となり、近年天に召されてしまった。キュッヘル氏は引退した。ヘッツェル氏もポリーニもともに繊細な指の動きだった。至福のサウンドはそこから生まれているのだった。グレン・グールドが演奏直前まで手袋で手を温め守っている話も有名だった。彼はそれを外してすぐにピアノに向かうのだ。だれもが手指をベストなコンディションに保っていたのだろう。

スタジオの近くには登山道具店が多い。明日は早めに家を出てハイキンググローブを探そう。手を大切にして音楽を楽しまなくてはいけない。

僅か数千円で手をベストなコンディションに持っていけるのなら・・。これはゴアテックスではなく新しい防水透湿素材を使っている。どんなものだろう。何にせよ、指を守ってくれる。このあとゴム紐で輪を作り左右の手袋に予め通すという細工をする。ゴム紐を最初に手首に通しておくと脱いだ際も紛失しない。大切なアイテムだから気を遣う。