日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

結局僕は、果たせない

ラジウム鉱泉の先にあるとある山小屋だった。そこは日本百名山の一つである岩の峰に登るには最も最適な場所だった。自分も又そこに車を停めて山頂を目指した。十一月の岩肌は冷たく数日前に降ったであろう雪が残っていた。陽が高くなると少しだけ空気は棘を失い雪も消えていった。山にはまだ悪くない季節だった。

山を終えて山小屋に下りた。下界に戻るバスはもう終わっていたのだろうか、バス停の近くに年老いた男性がいた。山靴を解き運動靴に履き替える。ザックから身の回りのものを取り出して助手席に置く。車に上半身を預けて下半身のストレッチをする。最後に落し物はないかを確認してから車に乗る。五分から十分かかるだろう。

エンジンを掛けようとしたらあの男性が歩いてきた。すみませんが、下まで乗せてもらえませんか? というのだった。

無意識だろうか、僕は彼の姿を上から下まで見た。服は汚れシャツが出ていた。11月の海抜1500メートルにしては頼りない程に薄着だった。登山者しか目的地にしないこんな場所に何故くだびれた街着を着た男性がいるのかが分からなかった。もうバスが無いのだろうと思った。

見知らぬ人を乗せる。登山者ではない。風采が上がらない。しかし彼は自分よりは三十歳は年上だろう。このまま自分が車に乗せなければ何が起きるのか・・。

どうぞ、と扉を開けた。狭い谷の上から差し込む明かりはもうすでに力を失っていた。下まで乗せてくれと言うがその下が何処なのか分からなかった。自分が使う高速道路のインターの名前を告げた。お父さん何処からですか?と聞いても答えないのだった。あの小屋で働ているのですか?という質問も無駄だった。ご家族は?とも聞いてみた。それらは最初から答えを期待しない問いだった。どうやら悪意はなさそうなのだ。なぜあんな場所にポツンといたのか。

そう言えばジジ捨て・ババ捨て山を描いた「楢山節考」は文中では信州という設定だったが、実際には山梨に伝わる伝承だった。貧しい村でお年寄りは自ら願う。野良も出来ずもう役に立たなくなった自分を山に捨ててくれと。涙を流してそれを実行するのは息子の仕事・・。悲しい話だが、まさか彼がそうかとは思いたくもない。がいずれにせよ彼を出来るだけ安心な場所まで送りたい、いやそうすべきだろう、と思った。谷が開けると高速のインターチェンジは近かった。何も言わないのだからわからない。ここで良いですか?と聞くと初めて口を開いた。はい、ここで、と。

広くなった場所で彼を降ろした。すると彼は手のひらに握っていたくしゃくしゃになったものを押し付けてきた。それは千円札だった。二枚あった。受け取れぬと固辞したが彼はそれをシートに載せてドアを閉めてしまった。不審から始めり疑いに変わった。そして憐憫が湧き最後は彼の安全を願った。腸のように狭く曲がるくねった山道が自分の猜疑心を消化させ人間が持つべき純粋なものに形を変えたのかと思った。しかしもう手遅れだった。追いかける事は出来たのだが何故か止めた。

あれから何十年経っただろう。引っ越した山梨の地で裏山に登った。裏山とは言うがそこは海抜2500メートルを超えている。今の自分には日帰りにしては骨がありすぎた。山頂直下でクマよけの鈴の音が近づいてきた。ペースが速い。挨拶して道を譲った。正直そうでもして休まないとそれ以上登れない。三十代前半だろう、自分の娘たちと同世代に思えた。山頂に着いたらもう彼は反対側に降りる準備をしていた。そこを十五分も降りると山小屋がある。若い彼はそこから向かい側の岩峰を目指すという事だった。

山小屋迄の下りは思ったより辛かった。巨人が悪戯に置いたとしか思えぬ大きな石が累々とつながり登山者はその上をひょいひょいと歩いて降りる、そんな道だった。降りるのも冷や汗だった。小屋に出たら疲れ果てた。曇ってきた空を見ながらさきほどの彼が思案顔だった。少し先に進んだが雨がぱらついたので止めたとのことだった。この山の登山口は最寄駅からタクシーでニ十分だろうか。軽く五千円は超えそうに思えた。自分の娘だったら果たしてタクシー代に五千円払えるだろうか?趣味のためとはいえ彼女たちの稼ぎを思えば楽ではないだろう、とも思えた。

「よかったら駅まで乗っていきませんか?駐車場の入り口に停めた白の軽自動車です。ただ自分は足が遅いので、待ちきれなかったらご自身の予定通りタクシー呼んで行ってくださいね」と。そうします、と軽快に彼は下って行った。

下山路は思ったよりもきつかった。さきほどまでと同様にゴロタの道で倒木を巻いて石の頭を渡った。汗が落ちてきたがそれは雨に混じるようになった。顔がしょっぱくなりため息が出た。コースタイムの1.5倍だった。駐車場まで下りてきたが彼は居なかった。何人かに追い抜かれたが誰も追い越していないのだから彼はしびれを切らしてタクシーを呼んだのか、あるいは最初から自分を不審者に思い捕まらぬうちに逃げようとしたのかは、分からなかった。

今も時折あの老いた男性を降ろした場所を車で通る。正直何もない場所だった。何故あの時そのまま最寄り駅まで送らなかったのだろう。その場所を通るたびに僕の心には棘が刺さる。だからこそ娘世代の若者の助けにならぬかと放った言葉だったが、待ちくたびれたのか、その気が無かったのか、わからない。

人としてすべきことも、自分から申し出た約束も…。結局僕は何も果たせなかった。どこかでもう一度機会はあるだろうか。