日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

職場の第九

全くやられてしまった。職員の皆さんは帰宅したのでスピーカーの音量を上げたのだ。何故か鳥肌が立ちこれまた目頭が濡れてしまうのだから困りものだった。これははたして人類に存在する音楽なのか。ここは天上なのかと思う始末だった。

二十代三十代の頃に一番出張したのはカリフォルニアはシリコンバレーだった。お客様に訪問に行くと場所はミィーティングルームになるが時に彼らのオフィスに入ることもあった。日本とは違いオフィスは個室なので彼らの事務所は好みにデコレーションされていて、人によっては良いオーディオシステムを入れていた。地元のFMか手持ちのCDあたりを流していただろう。絶えず音楽がなり彼らは心地よく仕事をしていたように見えた。実際自分が会うのはプログラムマネージャと購買部門、それに当方の技術者を連れての先方のエンジニアだった。シリコンバレーは当時は最先端技術の街。マイクロソフトにアップル、HP、ゼロックスの研究所。ハード系もソフト系も著名な会社が群雄割拠していた。エンジニア氏は音楽が流れていると頭がよく回り、新しい発想も湧いてくると言われていた。いずれにせよ日本のオフィスでは考えられない光景に触れて、ああアメリカの職場は良いな、と思ったのだった。

仕事で音楽、などいつか忘れてしまったが会社をやめパートでの仕事をしていると何故か自分は好きな曲を口ずさんでいることに気づく。手抜きをしているわけではないがプレッシャーの少ない仕事にルーティンが多いとそうなるだろう。

ある日職場で音楽が流れていた。受付に小さなブルートゥーススピーカが置いてある。先日職場として購入したもので勤務時間に好きな曲を流していいということだった。職場の所長に聞いたら、仕事くらい楽しくやりましょうよと言われた。前例も無かろうによくぞ決断してくれた。「ありがとうございます。こんな職場環境に憧れてましたから」と返すと彼女は嬉しそうだった。

クリスマスソングセレクション、スタバで流れるBGM、職場で流す音楽といったメニューは沢山ある。歌も入らずにいやな電子音もないアコースティックな選曲になるようだった。人が減ってくると自分の好きな曲を選ぶ。バッハやモーツアルトピアノ曲を流す。概ね職員さんには好評だ。ビル・エヴァンスマッコイ・タイナーあたりのピアノ・トリオも好評だ。

今日はベートーヴェンを選んだ。やはり十二月も残すところ少し。ここは聴いておこうと思ったのはやはり日本人だった。何故か分からぬがこの曲の合唱だけがやたらと有名でそれが年末の風物詩として扱われている風景。何か違和感がある。耳にタコができるほど聞いた七十分を超す大曲。今更これを聞いて反応などしないと思っていたら間違った。第一楽章から仕掛けが多い。リズミカルに第二楽章、天上を思わせる第三楽章。そして緊張と爆発の終楽章。オケが咆哮しそれまで一時間以上座っていた合唱陣が一気に立ち上がるとなぜだろう、激しく泣ける。チンケな風物詩などとても言えないのだった。第一楽章から職員さんたちもあるていど口ずさんでいらした。やはり人気曲だ。

ヨーロッパ生活を終える時に最後に聞いたのはやはりベートーヴェン交響曲第九番だった。十二月のパリ。満員のシャンゼリゼ劇場ウィーンフィルクリスティアンティーレマンが振るという豪華な一夜だった。去りゆく欧州生活の締めくくりとして、西欧音楽の頂点としてそれは心に刺さった。職場の動画サイトでの演奏はリッカルド・ムーティシカゴ交響楽団を振っていた。ムーティはこれまで一番多く見てきた指揮者でフランス国立管弦楽団ウィーンフィルハイドンブルックナーを聞かせてくれた。彼のベートーヴェンは初めてだったが相変わらずよく唄い情熱的だった。

とても書ききれない程の出来事のあった年だった。もう二度と起こってほしくないことがあった。時計が戻るのなら戻し何か違う選択肢が取れたのなら取りたかった。しかし物事には必然がある。言えることはこれからの全てと向き合うだけだ。後ろ向きにならぬと決めた年だった。

ベートーベンの第九の最後の合唱は歓喜の歌と日本では訳されている。万人兄弟、共和の世界と言う事だろう。ならば自分もぜひあやかろう。

ベートーヴェン交響曲第九番。世に出ている録音はいかほどか。自分は1980年代録音のこの三枚で事足りる。ベームウィーンフィルカラヤンベルリンフィルジュリーニベルリンフィル。どれを聞くかもその日次第だが何時どれを聴いても確実に何かをくれる。

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