日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

名づけの親 福之記2

アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを‥‥」大概はその辺りで音を上げて本を閉じる。世界で一番売れているという本は聖書と言われているが、キリスト誕生以降を描いた新約聖書のその冒頭がこれだという。何か面倒で、とんでもない世界に足を踏み入れてしまったな、まぁまたいつかにしよう・・となるのもおかしくない。そもそも馴染みのない名前が延々とこの後も続き、肝心のマリアにもイエスにもなかなか行き当たらないのだから。もう少しわかりやすい名前があれば、すこしは違うだろうか。

何かに名前を付けるという経験はそうもない。ペットか我が子だろうか。いや人によっては持ち物に名をつけているかもしれない。ロック界のレジェンド、ストーンズザ・ローリング・ストーンズ)のギタリスト、キース・リチャーズが彼の二本のメインギターに名前をつけていることはファンには余りに有名な話だ。「マルコム」と「ミカウバー」。名をつけるほどに彼はこの二本のテレキャスターを愛しているのだろう。

やはり名前は簡単で名付けた人の想いが伝わる事、平易に読めるものが良い、と思う。しかしそれは古い考え方かもしれぬ。キラキラネームやとても普通の日本人の漢字読解能力では読めない読み方を我が子にあてはめる事例も多いだろう。考え方も多様性、今更おいぼれが何かを言う事もない。自分に男の子が生まれたら、自分の漢字を一字使いたかった。あるいは拘らずにもっと日本古来や民間信仰にかかわる名前にも憧れていた。持国、増長、広目、多聞と浮かんだいた。そう、四天王だった。他には鍾馗雷電と瑞鶴といった名も頭にあった。ミリオタなのだった。いずれもとても妻の納得を得られそうになかった。幸いに生まれた子供は二人とも娘で、杞憂ですんだ。誕生月を感じさせる漢字、妻の名前から一字拝借、日本的奥ゆかしさがあること、そして誰が読んでもすぐに正しく読める漢字で名を考えた。二人ともその名前を大変に気に入ってくれているのが親として最も嬉しい事だった。

自分の名前は「幸雄」という。幸せな男であれ、か。雄は父から一字もらったとも言える。幼少から自分は病弱だった。つねづね母は言うのだった。「名前が悪い、病を寄せつけないよう強くあって欲しい。「鉄雄」にしたい」と。僕はそれを恐れたが幸いに今も幸雄のままだった。今、幸という漢字を見てこれほど自分らしい字はなかったな、と感謝している。

二匹の犬。一頭目は二人の娘が案を出した。時に既に高校生だった長女は「ゴンタ」がいいね、と。中学生なりたての次女は「ショコラ」や「マロン」といった名前を上げた。やはり長女の案となった。チョコレートと栗は無いと思ったのだ。箔をつけたく権太とした。

しかし肝心の自分はゴン太だのゴンノスケだのゴンタロウだの。挙げ句にはイヌ、イヌタロウ、イヌオトコなどと呼ぶようになった。愛着込めて呼んでいた。彼はやはり自分の正しい名前を呼ばれると一番反応が良かった。犬の知能は人間の三歳児レベルと聞く。やはりしっかりと名前をつけ呼んであげたい。

ブリーダーさんの廃業に伴いボランティアさんに預かられての二ヶ月間は彼はバロンと名がついていた。男爵のように気高いから、とのことだつた。ブリーダー業者にどう呼ばれていたかは知らない。ただの番号だったのかもしれない。

バロンも良かったがやはり考えようと話した。福太郎と頭に浮かんだ。半月前に台湾へ旅行をしたが、そこで見たのだろうか、福と、書かれた提灯が浮かんだのだ。如何にも福が来そうだった。新約聖書の登場人物のように難しくもない、誰が読んでもそうしか読めない、ニュアンスの伝わる名前。何度もそう呼ぶと早くもフクちゃんで反応を示すようになった。

自分が名付け親になるのも福ちゃんが最期だろう。福太郎の名の通り幸せに過ごしてくれさえすればよい。

幸せをもたらす「福提灯」のように・・。多くは望まないよ。新しい生活を楽しく過ごしてくださいませ。するとあとは幸いがついてくるから。