日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

雲を見る日

転居した家の書斎の窓からは甲斐駒が見える。海量というお坊様がこんな漢詩を読んでいる。最後の行だけを引用しよう。主語は「雲間ニ独リ秀ズ鉄リノ峰」、すなわち甲斐駒ケ岳2966mになる。五月に残雪が残るころに、この僧はこの鉄の峰をこう詩っている。「青天ニ削出ス碧芙蓉」と。深田久弥の「日本百名山」は僕にこの素敵な言葉を教えてくれた。碧芙蓉とは美しい表現に思う。

手に取れるように聳えているのに決して平面な地続きではない。我が小屋と甲斐駒の表玄関登山口の間には富士川が刻んだ深い谷がある。白州の谷、そこには名水が湧く。甲州街道がそこを通る。ウィスキーメーカーの工場があり同時にそこは南アルプス天然水の採取地でもあった。

谷は我が家からは見えない。ある日目覚めると目線の高さに雲があった。碧芙蓉はその雲の上に在った。雲を横から見る、あるいは下に見る。そんな経験はなかなか出来ない。初めて雲を見下ろしたのは丹沢の山小屋だった。関東平野はスッポリと雲の下にありはるかに筑波山が北に頭を出していた。雲海は南アルプス北岳で見たのが初めてだっただろう。山頂直下のテント場でフライシートを開けて驚いた。まさにそれは船で漕ぎ出せそうな雲の海だった。その果てに富士山が浮かんでいた。日本第一と第二の高峰はこうして時折相まみえ挨拶を交わしていると知った。雲を目の高さであるいは見下ろすのは山の上と相場が決まっていた。暖まった地面から上昇気流が生まれ冷たい空に触れて空気中の水蒸気は雲になる。

南北を山に挟まれた目の前の谷はまさに雲が発生しやすい地形なのか、と想像する。雲は数カ所に塊りそれぞれが世間話をしているのかもしれない。

やあ、元気かい。今日は空が冷たいから、また会えたな。
どうも視線を感じるね。僕らをじっくり見ている人がいるように思うな。
そうか、では悪戯をしようか

雲たちはこうして離れ離れになる。朝の挨拶を済まし見物者に色々な姿を見せようという計らいなのか。いや西からの風が来たのだった。分離と離合を繰り返しながら彼らは何処に行くのだろうか。西からの風となると天気は崩れるのだろうか。果たしてその夕から雨となった。はるか上空に親玉のような雲が固まりそこに収まり切れぬ水分が地面を湿らせるのだった。碧芙蓉は隠れてしまった。

翌朝は良く晴れた。すっくと鉄の峰が立っている。雲が谷に湧かないのは未だ気温が低いからだろう。たかが雲ひとつで頭の中にこれだけの想像が広がるのだ。雲が無いと寂しいな、と思うと碧芙蓉の上空に一筋、東から西へ長い雲が伸びている。飛行機雲だった。羽田を飛び立ち何処に行くのだろうか。素敵な友のいる広島にでも向け飛んでいくのだな。そう思うと嬉しくなった。

毎日雲を目線の高さで見る。そうすると天気の予測がつく。観天望気だ。ウッドデッキに風見鶏でもつけるとなお楽しいかもしれないな、と想像は膨らむ。雲を見る日は、かくも楽しい。

書斎の窓から見る碧芙蓉。この鉄の峰は白い雲に覆われてやがて雲間に消えていく。