日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

平和な共和国

癌の放射線治療は強力だった。巨大な機械で頭に無慈悲な光線を当てるのだ。抗がん剤攻撃にも耐えていた我が毛髪軍は一気に壊滅した。その戦にはいくつの弾や砲弾が使われたのか、最後に残ったのはまるでそんな弾丸の親玉の様につるつるな我が頭だった。

もっとも攻防戦に入る前から我が頭髪陣営は後退しており敗色は濃厚だったのだ。降伏です。そう白旗を上げようにも残った頭髪軍の兵士は誰もいなかった。戦後の日本は焼け跡に闇市が出始めて、混沌の中からやがて生きる事へのエネルギーが溢れてきたのだろう。自分の頭髪軍も砲弾の様に丸い荒れ野にそよぐスギナの如くポチポチと伸び始めていた。

病前と同様な長さに毛が伸びた時点で床屋に行った。1000円札一枚でカットしてくれる早さと安さを売りにした床屋は自分のお気に入りだった。数をこなしているので美容師さんの腕は悪くない。自分はそこで充分だった。

自分のカットは病後からこう決めている。3㎜のバリカンで上まで刈り上げる。枯れススキの原のような頭頂部は長さ2センチ程度を残しあとは切る。するとほぼなくなる癖に、そこにスキバサミを入れてもらう。風通しが良く大変心地よい。雨にぬれてもすぐ乾くし髪型は乱れようがない。ただし誤算は直射日光と北風を肌で感じる事だった。お陰で帽子を少し増やした。

転居した地はやはり都会ではない。1000円カット店はそうそう見当たらない。あれは時間を惜しむ都会の人のための店なのだろう。こちらには犬用のバリカンがある。これを手にすれば自分の髪型など手に持ったバリカンが作ってくれる。これまでも時折自分でやっていた。ただし手が伸びない後頭部は出来ない。無理にやるとギザギザになる。

今回はウッドデッキの椅子で家内にやってもらった。出来るかなと最初は言っていた彼女でもニ、三回刈り上げるとコツを得たようだった。バリカンなぞ使ってしまえば簡単だ。見る見るうちにゴマ塩の毛がカットされていく。僕は嬉しくなった。後頭部は合わせ鏡をしないと出来は確認できない。それは面倒くさいのでやめた。初回にしてはとてもうまくいったと思う。

都会生活とは違う。しかしもともと人間は不便さを自分の手で克服してきたのではないか。ならば我が手に加えて身近な人の手を借りるが良い。少なくと還暦を越えた男の髪型などどうでもいいのだ。こうして気楽にやってもらえるのならそうしよう。

山を見ながら髪の毛をカットされる。なんとも嬉しいものだった。かつてそこは毛が残るかどうかの戦場だったのだが、目下は人口の少ない平和な共和国となった。これで毎月1000円浮くな、と共和国の元首はほくそ笑む。

自分の頭は鉄砲の弾、いや、大砲の弾のようになってしまった。そこに再び毛が生えてくるのだ。そのカットなどたかが知れている。そこは静かで平和な共和国となった。