温泉といえば草津、別府、登別だろうか。がそこは火山国日本、無名でも温泉には事欠かない。引っ越した高原の地が属する市のサイトによると市内には九つの温泉があると書かれている。
僕たちはそれを片っ端から潰していこうと言う計画を持っている。どこもサウナ付きで市民割引。四百円程度だった。やっと三つ目だった。そこはこれまでの三箇所の中では最もリゾート感に溢れていた。
サウナで汗を出しきって外に出た。広い露天風呂だった。見回すと湯船全員が西洋人だった。ぬるい湯は長風呂を可能にさせてくれる。すぐに会話の仲間に入れてもらった、いや、割り込んだ。
ツーリストか?こんな無名の地をどうして知ったの?日本のオンセン、楽しい?
出だしはそんな会話で充分だ。話はそこからいくらでも膨らむ。僕は四、五年近く離れてしまった「英語」の世界が懐かしくて仕方がない。話せるのならば機会を逃したくない。ある意味英会話に飢えている。
しかし加齢と共に日本語の発音も劣化してきた。滑舌が悪いのだ。そこに英語ときたら困りものだった。思ったように口が回らぬ、しかし相手もしっかり聞こうとしてくれる。
オーストラリア人のツーリスト四人、そしてこの地に住む日本人の係累を持つ方二名だった。いくつもの話題が露天湯の上を回っていた。時折僕も話題のネタを出した。僕はこんな会話のピンポンが好きだった。
僕がこの地に引っ越してきたと話すと何十年も前にロンドンから来日し日本人と結婚しこの地に住まうという男性が、ここで働くのかな?、と、聞くのだった。彼の日本語は完璧だが僕が英会話に餓えていることをわかったのか英語で聞いてくれた。
僕は英語を使い国際交流の役に立ちたいという夢があるのです。この地での仕事でなにかリコメンドすることはありますか?と聞いてみた。
彼は考え、あなたのバックグランドは何かと聞く。現役時代にもよく問われたそれは職種歴の質門だ。セールス&マーケティング、それにマネジメントと応えると彼は考え、一言、イングリッシュティーチャーだね、というのだった。
先生? グラマーなどテリブルだからなあ、と答えると周りのオーストラリア人たちも俺もだよ、と言うのだった。
その笑いがまた露天湯の上でピンポンのように心地よく回る。二週間の休暇で来たオーストラリア人四人組はこれから西へ向かうという。かれらはレンタカーで旅しているようだった。
こちらに住んでいるという彼らにはまた会うこともあるだろう。ホームセンターもスーパーマーケットも多くはないから。分かれがたい彼らとはそれぞれ握手をして分かれた。
風呂を出たロビーで妻は人待ち顔だった。長風呂を詫びた。英語教師か。きちんと勉強しないと無理だな。あまり、いや、まったくピンとこないが、そのうち何かがあるだろう。
露天風呂で僕は自分自身を見つめ直す。そしてまだ可能性があるではないか、と嬉しくなる。湯の上で会話が回る。それは大きく気球のように膨らむ。僕はそれに引っ張られて湯を出たのだった。