日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

五十年前の扉

断捨離をしていた。押し入れの奥からレコード盤が出てきた。約二十枚はあっただろう。今はアナログレコードプレーヤーも処分して再生のしようもない、これらは十年前に中古レコード店に持っていき買い取りできずで戻ってきものだった。70年代までの英国ロックと荒井・松任谷由実フュージョンバンド・カシオペアなどのレコードだった。なぜか、アニメのアルバムもあった。これらのアナログ盤はアニメ以外は全てCDで買い直しそれもデジタルファイルでパソコンに取り込み済だった。

アナログレコードは最近ブームであるという。ただ捨てるのも惜しいので再び中古レコード店に持ち込んだ。アニメ「うる星やつら」サントラ版も含め今度はすべて引き取っていただけた。数十枚のCDと合わせて一万円程度になった。アナログのブームに乗れたのかもしれなかった。

二枚だけ手元に残した。大学の卒業アルバムと共に渡された一枚と、自分の初めてのレコードだった。大学の卒業記念レコードはA面が厚木サイド、B面が青山サイドと名がついていた。自分達1982年入学組から母校は表参道の青山キャンパスから基礎課程の二年だけ厚木キャンパスに移った。厚キャン、青キャン。そう自分達学生は呼んでいた。そんなことがレコードに足跡を残している。中身は大学の校歌、カレッジソング。そして厚木と青山の両キャンパスで録音したであろう学生たちの声、大学の先輩に当たるサザンオールスターズのナンバーなどが収録されていたのだろうか。一度しか聞いたことが無いのでうろ覚えだった。

自分が初めて買ったLP、それはチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番だった。チャイコフスキーは自分が初めて触れたクラッシック音楽だった。いや、それ以前にソノシートで聴いたバッハのフランス組曲からの五番のガヴォットがあった。そこでの対位法の展開にひどく魅了された。だがそれは数分間の小品だった。

資生堂のコマーシャルだったと思う。雄大で華麗な音楽は自分をすぐに虜にした。冒頭のホルンと力強いピアノが心に残った。しかし曲名などわからない。母親とともに横浜駅地下街のレコード店に行き店員にあの有名なホルンのフレーズをハミングした。これがほしいのです、と。そしてでてきだのがこのアルバムだった。小学生のハミングでよく曲名が分かったものだ、さすがレコード店の店員だと今になれば思う。その場で再生してくれた。望んだとおりの音楽に僕の心臓は揺れた。その一枚が実に半世紀ぶりに手元に戻ってきた。それは指揮者にカラヤンソリストリヒテル。オケはウィーン交響楽団、レコードはドイッチェグラモフォン。1962年に録音されたこの版は今でもこの曲の定番だろう。

ジャケットが素晴らしい。ドイツ人の血を持つもソビエトでキャリアを始めたピアニスト、スヴャトスラフ・リヒテルが本格的に鉄のカーテンの向こう側からようやく西側に出てきた。カラヤンの1962年と言えばすでにベルリンフィルの芸術監督でありまたウィーン国立歌劇場音楽監督でもあった。世界屈指のベルリン・フィルウィーン・フィルを手中に収めていたことになる。西の帝王とその時期にこちらに出てきた東の俊英。ジャケットの写真では二人はまるで曲の解釈について意見を交わしているようにも見えるが、カラヤンリヒテルの言葉を一蹴しているようにも思える。針を落としたその演奏はまさに火花散るすさまじいものだった。レコードの中ジャケットはギリシャ彫刻の様なカラヤンのポートレイトが写っている。ダンディズムとナルシシズムが同居したショットだろう。

僕は小学生でそんな一枚に巡り合えて幸せだと思う。クラシック音楽が好きだと言うと高尚でキザに思えまいかと自分の嗜好を隠していた時期もあったが、ソノシートのバッハのフランス組曲とLPのこの一枚は素敵な世界へ自分をいざなってくれた扉だった。今はこれもPCにデジタルファイルがあるのだが、この二枚は中古レコード店に売りに出せなかった。大学のレコードなど買い手はつきまい。リヒテルカラヤンは記念すべき一枚だ。古くて針が飛ぶであろうただのボール紙と塩化ビニールの円盤なのだ。そんなものを大切にする世界があっても良いではないか。

自分の初めてのレコード。もしあのレコード店の店員氏が自分のハミングを理解してくれなかったら僕はこの一枚にも、音楽にも巡り合わなかっただろうと思うと、今の僕は多くの奇跡と偶然の産物だった。