日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

聖地へは行ってはならぬ

聖地を巡っては宗教間の闘争になる。イェルサレム。異教徒である日本人の自分としては、ここをどの宗教の聖地とするのが正しいのか、全くわからない。ただ、聖地を巡る絶えぬ争いがいつかなくなるように、と思うだけなのだ。

神奈川県中部の田園地帯を車で走っていた。農作業などに特化したホームセンターがあり、そこへ庭道具を買いに出かけたのだった。買い物は終わり家路についた時に、ふと看板が目に入った。

そこはまさに「マニアにとっては聖地」だった。知る人ぞ知るという存在で、知っている人にとっては、時の経過を忘れる場所だろう。

こんな予定はなかったが・・・とぶつぶつ言いながらハンドルを案内の方向へ向けた。全くの偶然でその聖地に導かれたのだった。狭い路地を走るだけで、もう血圧が上がってくる。動悸も避けられない。

スズキが製造販売している小さな四輪駆動車、ジムニー。そのカスタマイズではオーナーなら誰も知るであろう専門店がとある長閑な道路沿いにあったのだ。

モデルチェンジの少ないこのクルマ、自分も550㏄の時代から30年以上にわたり三代続いてそれぞれの世代を乗り継いだ。今は三代目に乗っている。三代目は三台目だった。初代に乗っている頃からこのショップは知っていた。店の周りの空き地には三代のジムニーがずらりと並んでいた。皆、ナンバーが付いている現役車だ。

ショック、リフトアップキット、マフラー、梯子…。様々なパーツが店内に置いてあった。車検の都度元に戻すような改造はしたくないが全く夢が無限に膨らんでしまう。

店の前にはカスタマイズが済み納車を待つジムニーがずらりと並んでいた。リフトアップにせよタイヤの更なる大径化にせよ、オリジナルの状態よりも操縦性も燃費も悪化しますよ、とはお店の人。しかしこのクルマに魅入られた人たちは、それらを気にしないのだった。

究極形が玄関の横に止まっていた。リアゲートに付いた梯子から登るルーフには資材コンテナがセットされ、サイドにはジェリ缶がついているのだった。車はジャングルグリーンの実車をよりドイツ軍の野戦色であるフィールド・グレイに近づけたような塗装だった。また長いアンテナは430メガヘルツや144メガヘルツの運用の為ではなく、27メガヘルツ帯を目指したものか、あるいは軍用無線に対応した高利得のアンテナのようにも見える。

いずれにせよ、この究極のモデルカーが目指すものは、軍用車であることは明確だった。

軍用車のプラモデルを小学生の頃一体何台作ったのか。米軍のウィリスジープ、それを砂漠仕様にした英軍のSAS特殊部隊車。ドイツ軍のキュベル・ワーゲン。

自分の「飽くことを知らない」ジムニー熱も、全てはここから始まったと気づいた。スピードや快適さではない。悪路走破能力に特化するというその対極に位置づけられた車は、つまるところ「車検が通り公道を走れる軍用車」といえまいか。

カスタマイズは自己満足の世界。さすがにそこまでのエネルギーもない。しかし、ついつい思ってしまう。我が車のルーフトップに丸い穴をあける。そこに銃座のついたターレットを溶接してしまう。銃座に据える機銃は悩むが、やはりブローニングM2を置いて他の選択肢はないだろう。12.7㎜弾を放つ未だ現役の最終防衛線の兵器。

敵は誰なのか? 加齢に伴い顔を出すかもしれぬ弱気な心?そろりそろりとやってくる再発の病?そんなものは我がジムニーの屋根についた最強の重機関銃が砕いてくれるだろう。しかし残念ながら銃の所持は許されない。ハリボデでもモデルガンでも良いがそんなものを付けていたら確実に職務質問に遭うだろう。

聖地へ行くと信者の歓びと緊張は最高に達するのではないか。まさに自分もそうだった。しかし危険な妄想も広がる。この聖地には異教徒とのいさかいはないが、信者の心の中で過激ないさかいが起きてしまう。聖地へは行ってはならぬ。

何にせよここまでワクワクするという心があるのだから、当分敵は現れない事だろう。

お店の玄関には、軍用車の様にドレスアップされたジムニーが!

我がジムニー。このままでは軍用車。あ、これはわざわざウェザリングをしたプラモデルだった。もう一台作って、真面目に軍用車仕様に改造したくなる。大きな夢・危険な夢がいつもいっぱい。この年齢で心がかくも動くとは、嬉しいばかり。

ショップの前も、道路際の駐車場も、三代に及ぶジムニーの現役車が並んでいた。懐かしき550㏄ターボJA71は良く跳ねて動力性能も今一つ。中央道の談合坂で苦労した。二代目のJB23、660㏄インタークーラターボはよく走った。雪道でも電子スイッチ一発で四駆に入った。現行JB64はエンジンは更に進化した。どれに乗っても、夢は膨らむばかり。