日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

赤く揺れる花

この花は自分には毒々しい印象がある。しかし里山を歩き幾つも咲いているのを見ると、季節の移ろいを感じるのだった。空が高くなり風が尖ってくる季節にこの花は咲く。今までの自分には見るだけで縁のない花だった。しかし今年は少し考えさせられた。

父は夏の盛りに世を去った。持病が多かったが激動の戦後期を生き抜き九十歳を超えるとは天寿だと思った。犬は十二年生きて秋の始めに死んだ。殆ど病気もせずに過ごしたが晩年は脳疾患になり脾臓の腫瘍だった。僅か一晩苦しんだのが気の毒だった。しかし家族に愛され幸せな一生だったろうと思う。

父の葬儀と犬の火葬。数か月違いでやってきたせいか、夏から秋にかけてとても慌ただしかった。父の死後の残務は未だに多く残っていていつ終わるともわからない。犬のフォトフレームはようやく出来上がった。そんな時に近所の庭先に咲くこの花を見て、ああ、お彼岸なのか。と気づいたのだった。お彼岸か。春分の日秋分の日もこれまでの自分には先祖参りなど無縁な話で格好の休日だった。たいてい登山に費やしていた。しかしこの両日の頃がお彼岸だった。

この奇妙に赤い花が何故彼岸花と呼ばれるのだろう。決してお墓に供える花ではないだろう。横に清楚な花が並んだならそれを食べてしまうような気味悪さがある。実際この花の茎には毒があるという。秋の彼岸の時期に一気に開花するからそう言われるようだった。しかし彼岸にこれほど似合わない花もないのだった。

余りに目に鮮やかだから、例え暦を見るのを忘れてもお彼岸を忘れぬように。それがこの花の不気味なまでに赤くややグロテスクな花の意味かもしれなかった。事実自分は近所の庭の赤い花で彼岸に気づいた。納骨後初めて父の墓に線香をあげた。初の彼岸に間に合ってよかったな、そうお寺の境内に咲いている彼岸花が自分に話しかけているように思えた。

来年もまた季節を教えてくれるだろう。この花が曼殊沙華という名で広く定着したらお彼岸とはすぐに結びつくまい。自分のようなうっかり者にはやはり彼岸花が良いのだろう。今度は赤い花の咲く前に、墓に花を添えようと思う。先祖供養など縁が無かったが、いつしかそんな年齢になったようだ。

 

彼岸の頃に咲くから彼岸花なのか。妙に赤く毒々しいのは何故だろう。深く考えずに、この花は先祖供養の時を告げるもの、と思いたい。

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