標高にしたら400mにも満たない小さな山歩きだった。
登り始めから植林帯で山頂はわずかに都心方面が開けている。再び植林帯で、山麓の温泉のあるリゾート施設のわずか手前でほんの少しの雑木林の道だった。
植林の山はあまり気持ちの良いものでもない。檜と杉の独特の匂いと湿度。季節感のない木々。何よりも薄ら暗いこと。簡単に言うと陰気臭い山なのだ。ブナやミズナラ、クヌギの茂る天然林とは大違いだ。
えてして良い記憶を残さない植林帯の山だが、今日の山が少し嬉しかったのは、何も山麓に咲く見事な彼岸花のおかげばかりでもなかった。
友と二人の山。足の早い友に遅れを取りゆっくりと山頂への最後のツメに取り掛かるあたりで、後ろから小さな男の子がやってきた。小学生ならば低学年だろう。この子一人の訳もないだろう
「僕、パパかママは?」
「パパがいるけどちっちゃいのがいるから遅いよ」
どうしてもニュースを賑わした数年前の痛ましい出来事を思い出してしまう。里山とはいえ林は薄暗く一歩外せばヤブも濃かった。この中に入ったら誰も簡単には探せないだろう。
「パパが来るまで待ってよう。そこの木に座って待ってよう。」
少年は身一つだったので甘いキャンディを上げた。彼は直ぐに座るのに飽きてチョコチョコと登山道を行ったり来たりしていたが、やがてより小さな息子さんを連れたまだ若いお父さんが登ってきた。ああよかった。そんな彼に少しだけ挨拶をして山頂に向かった。もう大丈夫だった。
山頂は自分よりも年上の元気なパーティや大型の犬を連れた夫婦などで一杯だった。
久しぶりに腰を据えてアマチュア無線運用をした。2局目に呼んでくれた局は、自分がインターネット上に公開している記事の読者さんだった。「無線関連の記事や他の記事などをまさに昨晩まで読んでいました。あの記事のライターさんと交信できて嬉しいです」と言って頂いた。
大した内容でもなく手慰めで書いているような記事ばかりだ。しかしそれを読んで頂き、さらなる偶然でアマチュア無線で交信できるのだから不思議なものだった。
再び植林帯の暗い尾根道を下山する。林が途切れたところで眼下に温泉リゾート施設は近かった。
グランピングやキャンプをする若い家族でそこは一杯だった。自分たち家族がもう20年遅ければ間違いなくここに来ていただろう、日帰り湯はそんな施設と同じチェックインだった。手続きをしているとフロントから天体望遠鏡が若い家族にレンタルされるところだった。ああ、ここなら星も綺麗だろう。彼ら家族の今宵の大歓声が想像できた。
風呂から出てロビーに戻ったときにコンパクトカメラがないことに気づいた。更衣室か?慌てて戻りそこにいた若い男性に聞いてみた。すると彼もやけに入念に探してくれた。
それらしい場所になかったので落胆して戻ったが、なんのことはないカメラはしっかりズボンのポケットに入れてあった。カメラを決してなくすまいとそうしたことを思い出した。最近はこんなことばかりだ。
呆けたようにロビーに座っていたら、不意に「カメラありましたか?」と聞かれた。更衣室の男性だった。「ちゃんと持ってましたよ」と答えたら、更にこう続いた。「良かったですね。それとさっきはウチの息子を見ていてくれてありがとうございました。飴も美味しかったそうです」
ああ、あの山頂直下で会った親子だったのか。そう言えば元気な二人の男の子も更衣室にいたな。お父さん、他人事ながら妙に真剣に捜してくれたのにはそんなわけがあったのか…。
自分の書いたモノの読者さんに電波の上で遭うのも不思議だし、さして大きな山でもないにせよこうして時を経てから再会するのも不思議だった。蒔いた種ではないが気にもとめぬそんなことが大きな花になって帰ってきたようだった。
山麓に美しかった彼岸花も誰かが植えた球根か、自然増殖したのかはわからない。しかし特別の期待もなく当たり前のことをずっとしていれば、何らかの形で還ってくる事があると知った。平常心で何かをしていれば、きっと、それは不意に自分のもとへ巡り還ってくる。それは年に一度綺麗な花を咲かせる彼岸花のようなもんだろう。
彼岸花に彩られた今日の山は、美しく、豊かな気持ちだった。