日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

春になると・・・

自分の仕事は夕方16時30分にはほぼ終わる。先月迄は仕事が終わるとすでに外は暗かった。しかし。冬至を過ぎ大寒も終わった。2月も終わりを迎える頃になると夕べになれどそこはかとなく春の空気を感じるのだ。何よりも日が伸びた。そして草木。花は寒椿からそして気の早い梅へ。桃へ。

春の芽吹きは嬉しい。スーパーにはタラの芽や蕗の天婦羅が並ぶ。少し苦いこれらの味も、待ちわびる季節の期待を感じさせる。

「春」か。音楽では・・・。

メンデルスゾーンの「春の歌」などどうだろう。これを聞くと小学校の下校時間を思い出すな。下校の時にいつもかかっていたっけ。ピアノなのか、バイオリンだったのか室内楽だったのか。旋律以外の記憶はないが子供心に美しさが身に染みる、そんな曲だった。

「春の歌」もいいけど、ずばり「春」という曲がある。シューマン
全4曲ある彼の交響曲の1番の副題が「春」。オーケストレーションに難あり。やや分裂気味。いろいろ言われる彼の交響曲。2番辺りはその傾向も強いかもしれない。しかし1番「春」や3番「ライン」は癖もなく、分かりやすい曲だと思う。1番「春」は、暖かい季節を迎えるときめきを感じさせてくれるし、彼のデュッセルドル時代に書かれた3番などは、自分が住んでいたデュッセルドルフを流れるライン川の風景を容易に思い出させてくれるのだ。実際、ライン川を見ながらシューマンの3番を聴くのは風景と音楽が一体化するという感覚を自分に教えてくれたのだった。デュッルドルフは旧市街、ライン川に近いビルカー通りにあるロベルトとクララ・シューマン夫妻が住んでいた家は通りに溶け込んだ風景で、ここを通るときはいつも胸がときめいたのだった。

さてそんなシューマン交響曲1番「春」。明朗で躍動感に満ちた旋律が絶えず現れ、聞いていると体が思わず動き出す。日中だけとはいえここ数日の春らしい陽気につられ、暫く聞き込んでしまう。第1楽章と第4楽章では、踊る自分を止めることは出来ない。料理を作りながら、何かしながら、体が勝手に動いてしまう。家の中は家内だけ。踊ってもエア指揮しても恥ずかしいこともない。「春」だから、良いだろう。

長きにわたりシューマン交響曲、なかなか自分にはピンとくる演奏に行き当たらなかった。しかしジョージ・セルクリーブランド管弦楽団の演奏で、心にあったもやもやが取れたのだ。オーケストラの輪郭がしっかりしていて、曖昧としがちな曲がクリアに思えたのだった。古い録音だがCBSリマスタリング版はとても60年代とは思えない音で、感銘をあたえてくれたのだ。

シューマン交響曲第1番「春」。映像ではレナード・バーンスタインウィーンフィル管弦楽団版を見つけた。バーンスタインカラヤンと楽壇の人気を2分した名指揮者だったがやはり自分はドイツ・オーストリア人指揮者に惹かれる傾向が強く、あまり接してこなかったのだった。しかし、このコンビの録音はバーンスタインらしく文句なく熱量と躍動感に溢れ、シューマンの魅力を感じさせてくれるのだ。また踊りそうで、やばい感じだ。

季節を感じさせてくれる音楽があるというのは素晴らしい事。春になると、毎年の恒例。もっとも春限定ではもったいない。他の季節でも聴くのだが・・・。

シューマン交響曲第1番「春」。バーンスタインウィーンフィルの演奏。 https://www.youtube.com/watch?v=4YpkT_WGVnA

おまけ メンデルスゾーン「春の歌」。小学生の頃を思い出す。偉才ウラディミール・ホロヴィッツの古い録音だが、優しくて少し憂鬱なこの曲も春を感じさせてくれる。https://www.youtube.com/watch?v=PL5t6P3W6nc

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デュッセルドルフ、ビルカーストラッセに在るシューマンが住んだ家。ここを歩く度に数々の素晴らしい旋律が頭に浮かんでくるのだった。