日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

今を生きる素敵な息吹、シューマン・ピアノ協奏曲

職場の車ではいつもFMラジオを流している。NHKだが、時間帯によってはクラシックが流れる。なかなかありがたい業務用車両なのだ。

今日のラジオから流れ出る滑らかな音・・・体がびくんと反応した。シューマンか。ピアノ協奏曲だな。流麗でドラマティック。エレガントで繊細。語彙の少ない自分にこの曲の素晴らしさをうまく表す形容詞は浮かばない。

特に終楽章のピアノとオーケストラがお互いに一つになって紡ぎだす起伏豊かな旋律は、爆発する感情の赴くままにエンディングへ一気に駆け上がっていく。とはいえ感情任せではなくその起伏には伏線が敷かれている、そう、入念に考えられたものと思える。

僕はハンドルを握っているにも関わらず頭がしびれ心が高まって仕方がなかった。思わずリズムを手で取り、あいた手でタクトを振っていた。笑えるけど「エア指揮」だ。作曲家を問わずに、好きな曲がかかると「エア指揮」をせずにはおれないのだ。

シューマンは一曲しかピアノ協奏曲を書かなかったが、その貴重な一曲は日本人の自分の世代には意外に有名かもしれない。というのも円谷プロの「ウルトラセブン」の最終回のBGMとしてその第1楽章が使われているからだった。

自分にはその情報は後付けで、純粋に曲に惹かれて深入りしたのだった。しかも惹かれたのは第1楽章もさることながら第3楽章だった。ブラームスの2曲と並びロマン派屈指のピアノ協奏曲だと思う。

初めてこの曲を聞いたのはピアノにマルタ・アルゲリッチムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮ワシントン・ナショナル交響楽団の演奏だった。アルゲリッチはもともとその美貌に惹かれていたので、やや不謹慎な接し方だったかもしれない。しかしきらびやかでしなやかなピアノは流れる水の様に透明な音を届けてくれたのだった。これに充分魅了されたものの、ヨーロッパのオーケストラで聴きたいと思い色々手を出したのだった。ブレンデルアバドロンドン交響楽団、ツィマーマン・カラヤンベルリンフィル・・・。しかしひな鳥が初めて見た他の動物を親鳥と思う、とよく言われるが、まるでその話の如く自分には最初の演奏が一番フィットしたのだった。

肝心の車中のFMの音源もとても素晴らしい。音質の悪いクルマのスピーカーでもその流麗さは十分に伝わってきたのだった。結局それが誰の演奏なのかは番組は触れずじまい。それはどうでもいいことで、仕事の最中に素晴らしいシューマンの音楽が流れ、その曲の様に今日一日がきっと輝く日であろう、そんな気がしたのだった。車の運転はこれまで以上に快調で、シューマンで始まった一日は良い気分だった。

仕事が終わり、目を閉じて大きく息を吸う。素晴らしい旋律が再び頭の中に去来し、自分の意識はスーッとドイツへ懐かしいデュッセルドルフへ飛んでいく。シューマンがこの曲を作曲したのはライプツィッヒ時代で、彼がドレスデンを経てデュッセルドルフに居を構えるには少し後の話という。自分がデュッセルドルフに住んでいた頃何度も見た、ライン川にほど近いロベルト、クララ・シューマン夫妻の家はピアノ協奏曲とは直接のつながりはないのだった。しかし、あの家に確かに素晴らしい作曲家が住んでいて、その170年以上後の今日に、その音楽に陶酔する人がいるというのも、これまた事実だった。

シューマンデュッセルドルフ時代に精神を病みライン川に投身自殺を図る、それは未遂に終わり引き上げられたもののやはりライン川の流れる街・ボンの療養所で人生を終えたという。時間も距離も遠く離れた現代の日本で、その音楽の美しさに酔い、その音楽で素敵な一日を迎え遠いライン川に思いを馳せる人もいる、と知ったらどう思うだろうか・・。

シューマンの音楽はライン川で終わる事もなく今も生きている。そして聴く人に新鮮で素敵な感動を今も与え続けてくれている。「今を生きる素敵な息吹」として耳に届く。とても有難い話なのだ。

・同曲の映像を動画サイトにて。ピアノ演奏マルタ・アルゲリッチリッカルド・シャィイー指揮、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏。自分が初めて聞いたのもアルゲリッチ。そこからは年齢を経てもエモーショナルな演奏は変わらない。しっかりサポートするシャィイーとオーケストラも流石。アンコールの「子供の情景・見知らぬ国」。リリカルな情感に惹かれる。コンチェルトそしてこのような小品。演奏・解釈ともいずれも彼女の自家薬籠中のものなのだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=Ynky7qoPnUU

何度も訪れたデュッセルドルフ、ビルカーストラッセに在るシューマンが住んだ家。彼の音楽はいつも素敵な息吹を放っているように思う。