日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

病院に居た菩薩様

病院にいた菩薩様

それは二の腕から心臓まで届くカテーテル(PICC)を挿入するときだった。翌日から本格的に始まる抗がん剤による化学治療のためにはこれが必要だった。都度都度の針の挿入では済まない、長期戦の治療だから、患者の負担の少ない個所から入れて残置可能である、そして治療効果の高いカテーテルを挿入することになるのだった。

麻酔をするから心配ありません、とは事前の医師の話であったが、やはり実際にやる段になると多少の緊張は避けられない。いや、避ける避けないではなく、怖かった。しかし医師に全幅の信頼を置いていた。だから耐えて過ごすのみだ。

そこは血管造影室という物々しい部屋であった。大きなベッドにいかにも精細度が高そうな大型モニターが付いていた。

右手を伸ばし、挿入個所を決める。当該箇所に麻酔注射をしてから腕を固定する。右腕は緑の布の向こうだ。

「では行きますよ」とドクターが小さく声をかけて、始まった。麻酔も効いており右腕は何も感じない。どうやらモニターをみながらカテーテルを塩梅よく挿入するのだろう。

片側に看護師さんがついてくれて、カテーテル挿入前からずーっと「大丈夫ですよ、すこし力を抜いてくださいね」「もう少しですよ」と、声をかけてくれる。それはオペレーション中もずっと続いた。マスク越しではあるが目が柔らかい。彼女の存在にはとても安心して心が和らぐのを実感した。

細長いけど丸形のお顔だち、一重まぶた。三日月眉毛。色白。常に微笑んでいるような目元の感じ。マスクで口周り見えぬが、きっとおちょぼ口なのだろうか、と勝手に想像する。「和顔」「やまと顔」といった言葉が頭に浮かんだ。

そんなことを思っているうちに挿管は終わったようだった。右腕が自由になり、ゆっくりと寝台から車椅子に降ろしてもらう。

「助かりました、ずっと、傍にいただいてありがとうござました。」

にこりと彼女は微笑んだ。少し離れて見ると優雅とも柔和ともいえるその顔立ちはお雛様のようだった。いや、お雛様というよりは、恐怖や苦しみから僕を救ってくれる、菩薩様に思えたのだった。

その数か月後に、いったんPICCを抜いて、再挿管をする必要があった。今度はもう何が起こるかわかっているし、恐れもなかった。それに、またあのお雛様のような菩薩様に会えるのか、と思うと楽しみでもあった。

再び血管造影室。しかし、もう菩薩様はいなかった。いや、当番ではなかったのだろう。それがひどく自分を落胆させた。

そんな話を、後日、友人にしたら、彼はニヤニヤ笑って言った。

「病院にいると看護師さんは本当に天使に見えるでしょ。僕もそうだったよ。でも二度と会えなかったのは、きっと、それは本当に菩薩様だったんだよ。本当に不安なときだけ来るんだよ。二度目は不安ではなかったんだろ。だから来なかったんだよ」

そうなのかもしれない。彼女は患者の不安を取り除くためだけに「降臨」してきてくれたのかもしれない。

コンクリート造りのあの病院のどこかに今でもいるのかな、菩薩様は。うん、絶対にいる。患者皆一人一人にそれぞれの菩薩様が。不安におののくとき、ふと現れる。

とてもいい話だな。そんな事を信じるほどピュアではないよ、と思うけど、いつもそいう夢のある話を信じていたいという気がする。

あれは、本当に美しい菩薩さまだったのだ。中宮寺広隆寺の菩薩様よりも、ずっと美しかったよ。あの慈愛に満ちた、扇のような眼はなんと形容すればよいのだろう。ただただ、僕はそれに救われた。それ以上は言いようがないのだろう、と思う。

(2021年10月13日・記)