日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

病院で会った人々 ウルトラヒーロを味方につけて

転院して私が入院した部屋は四人部屋だった。

ヒロ君と呼ばれていた彼は、40歳も後半だろうか。彼のベッドの前を通り過ぎた所が自分のベッドだった。彼が自分の病室で初めて会った同室の方だったのだ。

ヒロ君のベッドサイトの机の上にずらりと並ぶビニールの怪獣人形には驚いた。もちろん歴代のウルトラヒーローも、そこに居た。初めて自分のベッドに行った時、ウルトラヒーローはまさに怪獣と闘っていたのだった。

病室の外に出るには彼のベッドの前を通らなくてはいけなかった。大概カーテンが閉まっているが、そこから漏れ聞こえる戦い模様からして、ヒロ君の手により縦横に空を飛ぶヒーロー達。彼らによって怪獣たちはたまらなく敗退を重ねているようだった。

やったな、頑張れ、と、僕は心のなかで応援する。彼らはヒロ君とともに彼の病と戦う仲間なのだった。

怪獣を叩きのめすとヒロ君はヒーロー達に語りかける。よくやった!スペシウム光線が効いた!

そして彼はひとしきり眠り、塗り絵の本に色を塗り始める。じっくり見てはいない。ただその作品は看護師によって壁に貼られていた。なかなかの画伯にも思えた。

ヒロ君のご両親は週に3度はお見舞いに来ていた。70歳ほどだろうか。白髪交じりのお父さんと、連れだって歩くお母さん、共に小柄な方で息子が心配で仕方がないという雰囲気だった。

彼がどんな治療を受けていたのからわからない。ただ定期的に血糖値の測定を行っていたのだった。パチンと指先に小さな穴を開けてその血で値を測っているようだった。この穴を開けるのが塗炭の苦しみであることはヒロ君の呻きを聞くまでもなくよくわかった。

ここは病院。血液内科の病棟。血液の腫瘍と戦う人達の病室だった。腫瘍治療に加え糖尿病のケアも必要なようだった。私が抗がん剤の点滴を受けて辛い思いをしているのと同じく、彼もまた戦っていたのだった。

治療にも関わらずヒロ君の病態はあまり進展がない様だった。いやむしろ苦境に向かっているのかもしれない。時折いびきと共に深い眠りに落ちることが多くなったようだった。看護師の呼びかけの回数が増え、緊迫度が高まってきていることは私にも伝わった。

ここは病院。血液内科の病棟。各自の抱える病状は皆異なるし重篤さも違う。それを知っても仕方ないし、知ったら自分も滅入るばかりだった。

だから体が辛いとき以外は自分はできる限り談話室で丹沢を見ながら時間を潰した。他の患者さんはその人の世界がある。人に関わるべきではない、と思ったのだった。

ある夜、緊迫感が部屋を包んだ。強い口調の看護師の対応と共にヒロ君はベッドごと部屋から出ていった。翌朝にはヒロ君は部屋に戻っていつものようにウルトラヒーローが居た。良かったな、頑張った、と導尿管をつけている自分も思う。

しかし、一枚一枚の日常という層を幾重にも重ねるうちに、いつしか、ウルトラヒーローがベッドの上にいることは少なくなり、やがてそこに突っ伏していびきをかいているヒロ君を見ることが多くなった。

ご両親の面会も病院側によってミニマムになって来ているようだった。

何度かの出入りのあとある日を境にヒロ君はもう、部屋に戻ることはなかった。

そしてその後、関係者だろうか、彼の私物を整理する方が見えて病室はがらんどうになってしまった。ウルトラヒーロー達も自分たちの星に帰ったのかもしれない。

しかし自分には、彼が更なる苦しみと戦っているとは思えないし思いたくもなかった。病には山もあれば谷もある。たまたま谷だったのではないか。あんなに痛快そうだったヒロ君だから。むしろ元々持っていた何らかの病で、もっと長期的な治療を選んだのかもしれない。そのはずだ。

ウルトラヒーローは、そこでまた新たな活躍の場を得るのだろう。そう思う。なぜなら彼らは彼の味方。闘病の味方なのだから。

そして翌日すぐに、静かなベッドに新しい患者さんが入院されてきた。カーテンが揺れ動き、入院ガイダンスをする看護師さんの声が聞こえてきた。

ここは病院。血液内科の病棟。病と闘う方は後を絶たない。・・・そう、何事もない。新しい一日が始まるのだった。

(2021年11月16日・記)