日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

明るく行きたいもの

最近のスマホに搭載されているカメラも進化した。自分はユーザーではないがアイフォンならばプロ顔向けの写真が撮れるという。ずっとアンドロイドを使ってきたがそれでもメモ代わりの撮影には十分だ。絞りによるボケ、シャッター速度による動きの表現、露出調整による光の取りこみ方、すべてがカメラ任せ。しかも各種の自動レタッチ機能内蔵で背景を消し去るという事も出来る。カメラの動作原理などうでも良い。それで出来栄えが良ければ言うことなしだ。

スマホのカメラにははなから何も期待していない。それでも露出補正があるのはありがたい。フィルムカメラの時代は一眼レフにリバーサルフィルムを詰めていた。36枚しかないので露出をそう何度も変えられない。山歩きの伴侶だったのでいつも空の青さと木々の緑、燃える紅葉、そして花々の色をどうすれば望んだとおりに表現できるかが悩みだった。空は深みがかった藍色であってほしい。新緑はコクのある色であってほしい。暗い調子の中に差し込む光が好きだ。するとカメラの示す露出計の値よりも0.5段から一段暗くすることになる。シャッター速度がその分早まる。どうもローキーな写真ばかりだったのはそのせいだったのかもしれない。

デジタルの時代になった。メモリーカードに画像は記憶されるので撮影枚数は青天井となった。露出もプラスにマイナスにそれずれ何段でも振れた。今撮った写真をPCモニターで見ても、やはり暗めの写真が多い。当時はそれが美しいと思っていたのだから。

しかし花を撮ろうと思った時には光を絞るという今までのやり方がピンとこない。花びらに差し込む一条の光を捉えるならそうもないだろうが、自分はそこまでのセンスも無い。花全体が綺麗に映ればよいと思ってしまう。そうか、逆に振るか。そういえば数年前から新緑撮影には露出をプラス側に振った方が自分にとり嬉しい写真になると気づいた。自分が撮りたいのは生き生きと瑞々しいブナの新緑だった。そこで花もプラス側に振ってみた。オートブラケットを使い標準で一枚、マイナスで一枚、プラスで二枚。どれがピンと来るかと言うとやはりプラスに露出を振ったものが良い。

この感性の変化は何処から来たのだろう。年齢に関係があるに違いない。目が受容できる光の量も変わったのかもしれない。病など気が落ち込むことも出てくる。そんな暗い気持ちの中で無意識に明るいものを求めるようになったのかもしれない。

庭にはトリカブトが咲いていた。ポットで買って庭に植え替えて数か月。期待通り花が咲いた。南アルプスで、北アルプスで、トリカブトを見てきた。猛毒がありかつては殺人事件にも使われたという花だが傍で見る分には美しい。我が家のトリカブトは深い紫色にはならず明るい紫だった。スマホではなく一眼を持ってきた。中望遠で絞り開放で撮影しよう。露出はプラスに0.3、0.7とあげてみた。70ミリF2.8はこんなときありがたい。

今なら思う。被写体には大目に光を当てたほうが良さそうだ。なにせ歳を取ったのだから、暗いと気持ちもシュリンクする。せめて写真くらいは明るく行きたいもの。

ぱあっと咲いたトリカブト。毒はあるが見る分には好きな花だ。光を大目にカメラに取りこんだ。花が喜んでいるように思うのだった。