日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

図書の旅11・静かな生活(大江健三郎)

・静かな生活 (大江健三郎著・講談社・1990年)

自分が非常勤職員で働いている地域のための施設では地元の人たちの参加による様々な催し物の集いがある。手話であり子育てサロンであり健康体操であり。そんな中に障害を持った人々と触れ合う集いがある。自分も職員としてそのメンバーだ。(*)そんな方々と保護者参加により毎回様々な遊びをする。時々、いや常に感じる。同行されるお母さま方の「明るさ」はパワーに溢れているといっても良かった。

大江健三郎の小説「飼育」を手に取ったのは中学生だった。途中で挫折したと思う。また話のトーンは暗く辛かった。芥川賞と言うのは難しいのだな、程度の感想だった。それ以来彼の著作を手に取ったことはなかった。図書館通いを始めそろそろ読み返してみようか、と思ったつい最近に大江氏は逝去されマスコミをにぎわせた。

図書館に「飼育」はなかった。代わりに手にした大江作品はクリーム色の装填に魅かれた。大江氏の息子さんに障害があると言う事はなぜか知っていた。しかしその息子さんが障害を乗り越え高名な作曲家であるとは知らなかった。

本書はそんな大江氏の家族の話を書いた本だが、エッセーではなかった。大江氏は自らをK氏と言う名に設定し長女の目線で家族を描いた文学だった。ストーリーテラーは長女の「マーちゃん」だった。障害を持つ兄「イーヨ」、何事も自立して活動できる弟「オーちゃん」。作家として限界を感じたK氏は再起を図ろうと米国へ奥様と移住。三人での生活が始まる。イーヨの作曲家としての才能が発芽する辺り、性との向き合い、何時も自らにカツを入れながら頑張ろうとする女子大生マーちゃんも又、時折力尽きて「自動人形」のようになってしまう。そんな中終章では自らがストーカーの如き男に性的暴力を受ける間際まで追い詰められ、間一髪でイーヨに助けられる。それを知った母はK氏を残し日本へ帰国しマーちゃんが記した三人で過ごした時の日記を読む。これは「家としての日記」とし、夫であるK氏に見せたら彼は何かを見出すだろう。この日記は「静かな生活」という題はどうだろう・・・。 

子供達三人の姿を軸としたそれぞれの家族の成長を描いている話に思えた。歯切れが悪いのはすべて自分の文章理解力不足と感性の至らぬところだろう。難解な日本語は一切出てこないが、比喩が難しいのか、独特な構文なのか、捻った表現なのか、読むのに疲れる著作だった。おぼろげに思ったことは、大江氏はやはり障害を持つお子様を持ちその環境で当時の日本社会を生き抜いていく。その中で作家として成立したのではないか、という推定だった。

職場で出会う明るいお母様方を想像した。皆さん色々な社会的な制限に向き合ってここまで来たのだろう、彼女たちからは前向きなオーラが出ており、誰一人悲嘆にくれる人もいない。受容・諦念・希望。そこまでに至る過程はとても自分には想像もできないものだっただろう、と思う。

ただ病気に罹患しただけで、身の回りの老いていく人々に接するだけで、すぐに否定的な思考に陥る自分は何なのだろう、と考える。書中の「マーちゃん」は壁にぶち当たると「なにくそ、なにくそ」と気張る。マーちゃんは女子大生だ。踏ん張る力は衰えているかもしれないが自分だって、と思う。それがこの優しい色をした装填の書を手に取って湧いた想いだった。

大江健三郎の書に接したのは45年程ぶりになるのだろうか。中学生には難しかったが大人になった今でも読み易しい作家ではなかった。

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(*)

https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2023/03/24/230950
https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/04/16/110933