日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

別離

長くお世話になった人とお別れするのは寂しい。哀しくもある。友人と別れるのもなかなか再会できない相手なら寂しい。別離という言葉は寂しさと哀しさに飾られているだろう。断捨離で身の回りの物を整理する。思い出のある品でももう使わないなら、別れよう。それも別離だ。捨てる捨てぬは思い切り次第だが、多少なりとも感情を揺るがせる。

部屋の隅に、ずっと置いてあった二つのビニール袋がある。ピンクの袋とブルーの袋。何故これがずっとここに居座っていたのだろう。どちらも「ライフリー」とロゴがある。「長時間安心・薄型パンツ」、「ズレずに安心・紙パンツ用パッド」と書かれている。自分が病院で約3か月間使っていた商品の残りだった。

脳外科で全身麻酔から目が覚めた時にはすでに導尿管が入っていた。履いていたのは紙パンツ・パンツ型オムツだった。導尿管はやがて外れたがしばらくは尿道の括約筋も戻らぬこともあるのだろうか、意図せぬ漏れがないだろうか。ずっとオムツだった。自分もそれが安心だった。

転院しての血液内科での化学治療。4種の抗がん剤のひとつ、メソトレキセートの投与後は薬剤の腎臓への負担を軽減するため直ぐに排尿促進剤や電解質補給剤などの点滴が始めった。沢山尿をだし腎機能へのダメージを防ぐのが目的なのでそれは一回の点滴後に大量に四日間ほど延々に続く。更に定期的に尿の成分を調べるために定時の採尿が必要になる。何もしなければ数時間おきにトイレに行きたくなるし都度コップに尿を取らなくてはいけない。そんな対応は入院患者には無理な話で、その間は導尿管のお世話になる。導尿管から我知らずの間に尿パックに流入していく尿から定時に看護師さんは採尿していた。そんな時再びオムツを履いていた。薬剤点滴がないときはパッドも使った。見た目はともかくも、通気性も悪くなく、なかなか気に入っていた。

退院した時に残っていたその二種類のオムツ・パッド。それがずっと家に置いてあった。「もう要らないでしょう」そう妻は捨てたがっていたが、自分はまだ置いておいてと話をした。

二年経とうとしている。さすがにもう不要だった。まだ置いておいてという自分の本心は何だったのだろう。もしかして排尿制御が出来ない、と言う事を恐れていたのか、果てはまた病院にお世話になった時の為に置いてあったのか。

いずれにしても杞憂だった。正常な排泄機能に戻っていた。今となっては紙おむつのお世話になっている父母。その高齢者施設に持っていこうかとも思ったが施設は下着や服以外の外部からの持ち込みは禁止だった。オムツ供養でもして捨てるか。いや、粗末には出来ない。彼らは恩人であり、友だった。そうだ自分の職場なら必要だろう。デイサービス部門に確認しオムツたちは歓迎の下に迎い入れられた。利用者さんも使うし、その抜群の吸収力をしてウェスのような使い方もするようだった。

「オムツたちの行き先が決まったよ」そう妻に言うと「良かったね」と言う。そして「もう二度と会いたくないわね。」と付け加えた。

その通りだが、僕は一方これも真実だと思う。25年、いや30年後には、我が両親の様に再びお世話になるかもしれぬ、と。恩人であり友達だから。ずっと先ならそれもありだろうと。

これはいっときの別離だな。別離であっても寂しくも悲しくもない。喜ばしい別れもあるよ。出来れば再会はしたくないがその時はまたよろしく頼むよ。そう言いたいところだ。

お世話になった友人達。捨てずにすんでよかった。

shirane3193.hatenablog.com

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