日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

コルクで吹き飛ばそう

お土産物屋や飲食街がある温泉と言えば何処だろう。関東に住む人間とすれば、伊香保草津あたりがまずは頭に浮かぶ。草津はもう数十年行っていないが、伊香保は数年前に歩いた。階段が続き土産物店や飲食店が軒を連ねるさまは観光パンフレットでも馴染だろう。お湯も良く、またその山麓水沢うどんも絶品だった。階段道に沿って登ったが果たして懐かしき遊びができる店があったかはよく覚えていない。その遊戯は誰もが一度はやっただろう。余り身を乗り出したりするとオヤジさんは嫌な顔をする。煙草の箱を模したチョコレートを落とすのもなかなか難しい。意外に弾道は乱れてなかなか当たらない。大物を狙うとほぼ徒労に終わる。結果が分かっていてもやりたくなる懐かしき遊び、それが「射的」だった。

自分が非常勤で勤務している職場は地域住民の集いが数多く開催されている。「(少しだけ)成長が遅れている・(少しだけ)不自由を持ったお子様と皆で遊ぼう」という集いがある。自分はその集いのメンバーで、いつも彼らと「全力」で遊んでいる。なにせ担当の常勤さんが気合を入れており毎回新しい遊びを考えてくるのだから、自分も遊び甲斐があるといえた。 

椅子取りゲーム、形態模写、カルタ、ボーリング、ストラックアウト…。コロナ下とはいえ知恵を絞って遊んでいる。楽しみにしていた福笑いは降雪予報のために取りやめた。それはまたの楽しみとして、今回は、射的だった。プラスチックの小銃からコルク栓を飛ばすものだ。温泉街のそれはボルトアクションの金属の銃身だったはずで、その意味ではより玩具感が強くちょうどよかった。

紙コップに点数をつけそれを台に載せて撃ち落とすのだった。コルクを強く詰めすぎると、なんと、弾は飛ばない。弱いと力ない放物線を描くだけとなる。このあたりと、引き金を引いた際の反動を如何に抑えるかが、正確な射撃のコツと知った。遊ぶ以上、手を抜けないのだからそれは考える。

日々の生活で皆さんご苦労はあるのだろうか。それは自分が考えても仕方のない話だった。しかし、喜ぶお子様と、何よりもお母さんの笑いが自分にとっては一番嬉しい事だった。参加者は首から名札を下げるのだが、最初はその記載は「○○君ママ」だった。しかしいつか「△△さん」と、自分の名前を記すようになった。それも良い案だと思った。確かにお母さんではあるが個々の人格でありお子様の保護者というのが立ち位置の全てでもないだろう。苦労を正面から受けているであろうお母様たちもそんな社会的な標識を外すことで、気分が楽になるのではないのか、と思うのだった。それもあってかお母様方のスコアも冴えたものだった。

これは毎回の光景だった。何時も皆は童心に帰るのだ。今回に限っては三回やって、何と自分がトップだった。景品のお菓子の権利はお譲りした。なにせお子様によっては、目の色を変えて取りに来るのだから。

コルクを軽く銃口に差して、レミントン・ショットガンのようなポンプアクションを引いて空気をチャージ。弾道を考え引き金を引く。点数を記した紙コップの真正面から当たり、それは吹っ飛んだ。

色々な不安や苦しみがある。それらは自分にもあれば誰にでもあるはずだ。簡単に払いのけられることも、そうでないこともあるだろう。そんな時、ポンとコルクの詮で飛ばしてみればどうだろう。当たって飛ぶものも飛ばぬものもあろう。あまり重く考えずに気楽にやれば、いずれは吹っ飛ぼう。

会場の後片付けをしながら、ああ今日もたっぷり遊んだと思うのだ。すべてを取り払い素朴であればあるほど、誰しも地の姿に戻れるのではないだろうか。

射的をしたのは何十年振りか。皆が童心に帰りとても盛り上がる。楽しいひと時だった。

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