昔からファッションには興味が無かった。肥満気味の体にフィットする商品は少なかったのだ。
しかし唯一興味があったのはアウトドアブランドだった。高機能性は高い安全性に結び付くのでお洒落と言うよりは必須だった。ノースフェイスのマウンテンパーカ。60/40クロスに憧れた。シェラデザインという選択肢もあったがこれを選んだ。モンベルのウェアは三層ゴアテックスのレインウェアだった。これが当時最も信頼できるものだった。今ではそのノースフェイスもモンベルもお洒落ブランドや街着ブランドになってしまった感がある。前者は知らないが、少なくとも後者は今でも山ヤやアウトドア愛好者のツボを押さえる商品を作っていることには違いない。しかし山歩きをしているとあまりにも同社製品のシェアが高くて、多少辟易する。
山をはじめた1980年代は登山道具店のオリジナル用品が沢山あった。カモシカスポーツ、サンコージツ(現、好日山荘)、ICIとIBS石井スポーツ(今はICIに統一された)、さかいやスポーツとグリーンライフスポーツ、ニッピン、山幸、秀山荘…。週末はこれらの登山道具店巡りが楽しかった。
当時幾つかの店では取扱製品の立派なカタログを作っていた。地元の街にあったIBS石井、それに会社の近所のさかいやスポーツ。無料配布されていたIBSのカタログはB4版程度で本棚に収まらずに今は残っていない。しかしさかいやのA4版カタログ(定価300円)が辛うじて書棚に残っていた。神田神保町のさかいやは会社に近かったので良く行った。山道具の多くはそこでオリジナル商品を揃えた。ザック、シュラフ、それにニッカボッカ。レインウェアはモンベルを扱っておりピンク色の型落ち品が安かった。テントは店のオリジナルは無く、ダブルウォールでは当時最軽量とのアライテントの製品にした。山靴は川崎にあった山幸で同社のオリジナル革靴にした。ザンバランフジヤマの流れをくむノルウェイジャン製法のトラディショナルな軽登山靴で、皮軽登山靴では最安値だった。
自分なりにあるべき山の商品の姿を検討し、色々な店に回ってオリジナル商品を中心に揃えた。何が楽しいかと言うと、その過程だった。店員が魅力的だった。いかにも山好きが興じて店員やってます、といった、世間の流れとは多少距離を置いたような、しかし純朴な人が多かった。その日焼けした男たちは世間話はしないが、山道具に関しては雄弁だった。特定のモノを探す側からすれば、それが一番ありがたかった。各店のオリジナル商品は、やはりそんな人々の思惑を反映しているのだろうか、それぞれに個性があり、見ているだけで楽しいものだった。
今では取り扱いブランドは店によっては異なるが、どの店に行っても同じブランドの商品が並ぶ。山道具店は均質化したと思う、同時に道具店巡りの面白みも失われた。またオリジナル商品を置いていた店も、どんどん減ってきた。カモシカスポーツが目下自社ブランドをザックやテントに残している程度だろうか。
なぜこうなったのか。やはり職人さんが少なくなっているのではないだろうか。靴やザックにしても、熟練工の手技の賜物だろう。勘と経験がものを言う手仕事。職人は若い職人に仕事を教え込む。技術は目で盗め、とよく聞くが技術の継承はどんな産業界にとっても必要でかつ容易ではないのだろう。
カタログを眺めて次はこれを買ってと悩むのには夢があった。幸いにオリジナル山道具満開の時代に揃えた道具類は、ほぼ現役。何度も靴底を張り替えこれ以上は無理となった初代革靴、そしてゴアが剥離した初代レインウェアは共にない。余程革新的なものが出れば別だが、もう新しいものも不要だし癖の分かるアイテムを補修しながら長く使い続ける事が良いだろう。山道具はある意味もはや自分の体の一部といえる。長き友がいてありがたい幸せと思う。