とあるコンビニの前の道路を通るといつも目についていた。気になっていたというべきだろう。それは軽自動車のバンだった。
車に関しては昔からスズキ・ジムニー一択だった。三台乗り継いできた。いつからブームが起きたのか分からないが今の車は納期一年だった。数週間前に5ドアが発表された。メーカーの想定受注数を大幅に超えてしまいわずか数日で受注停止になったというからその人気ぶりが窺える。軽自動車というユニットが好きなので普通車のジムニーには個人的には興味が無いが、アウトドア好きなファミリー世代には文句なく刺さる事だろう。
山梨県にせよ山間部ではジムニーは生活必需車だ。雪国のパトカーはジムニーだ。狭い林道、農道。悪路。積雪路。実際によく見かける。どこでもござれだ。そんな地での生活。冬の氷点下を想えば悪路でなくとも四駆はマストだろう。
子供のころの夢はリアカーで生活をすることだった。荷台に段ボールで作った家を乗せてその中で寝泊まりをするという事だった。母親はひどくそれに落胆したが、自分には楽しく見えて仕方なかった。気ままに動ける。好きなところに行けるではないかと。
「小さな動く家」に関しては自分は何処かで「童心を失っていない」のだった。小さな空間で過ごし、それが移動する・・。小さな、ということが大切だった。いつしか夢が出来ていた。軽自動車のワンボックスで生活をしながら気ままに予定を決めずに日本中を走りたいと。眠くなったら車内に作ったベッドで眠る。日帰り温泉などそこら中にある。ポリタンに湧き水を補給していく。登山用のバーナーひとつで湯も沸くしご飯もたける。もっともコンビニがそこら中にあるが。
栃木県北部の山の登山口だった。駐車場に軽のバンが止まっていた。外に居た持ち主にお願いして中を見せてもらった。それは動く家だった。工夫が随所にあり自分の心臓は妖しく動くのだった。山仲間もまた軽ワンボックスのリアシートを取っ払い動く家に改造している。それも見せてもらった。
いつかそんな旅をしたいものだ。家内に言ったら猛烈に反発を受けた。柔らかい布団で美味しい料理を食べたいという。極めて当たり前な思いだろう。家が建つ前の自宅の敷地で何度もテントで寝ていたではないか。登山ででもテント生活を楽しんでいたではないか。それがナイロン生地ではなく鉄になりしかも動くのだから良いではないか。がどうもそうはいかないようだった。
コンビニに行った。車をそこに停めて見に行った。そこはくたびれた中古車を展示するスペースだった。気になっていた相手は20万円だった。やはり四駆だった。十二万キロ走行か。構わない。日本の車はメンテをすれば何十万キロも走るのだ。ワゴンではなくバンか。四ナンバー。それも望ましい。リアシートは畳みっぱなしか外すのだから。貨物車になるので税金も安い。マニュアルシフトか。懐かしい。直ぐに思い出すだろう。ターボも不要。今の軽はNAでも高速道路で行けるし慌てる旅でもないのだから。
むくむくと湧きあがる気持ち。リアスペースはどうしよう?板敷にしてカーペット材を張るか。ベッドは銀マット?シュラフは何を入れようか。ヘッドレストに引っかける机を作ろう。そこに載せるパソコンはあれを持っていくか。電源はどうする?そんな事を考えていると時の立つのを忘れるのだった。
結局それは夢のままとした。一人旅ではないのだから。それに我が家の車でもシートを倒して板を乗せればフルフラットになるのだ。一人分の専用ベッドまでDIYしてるのだ。それで様々な登山口まで夜を徹して走っていたのだから。二人と一匹の気ままな旅はそんな車でも出来ると興奮した。だから密かに準備を進める。ある日、急に連れ出してしまおう。時に旅館やホテルを挟み、漁港の市場に立ち寄る。そしてたまにはどこかのフレンチやイタリアンに立ち寄って。すると抵抗感も無くなるだろう。その後だ。
「もう少し快適な車にしよう。二十万円で手に入るから。」
そんな事を考えると何故かほくそ笑むのだった。そしてまたむくむくと雲が湧いてくる。やはりオートマの方が楽だよな。色は白ではなくシルバーが良いなと。
まったく楽しい。小さな鉄の家が気ままに知らないところへ連れて行ってくれる。時間も何も関係ない。風の吹くままにハンドルを回しアクセルを踏む。夢はあるにこしたことはない。
