契約書。ドラフトを作成するのは法務部の仕事でも、それをお客様との間で合意に取り付けるのは、営業部の仕事だった。自分が所属していた前々職の会社の話だ。契約書自身かなり持って回った表現をするので、日本語でもその内容を理解して顧客と交渉し合意に至らすのは楽ではなかった。
ましてやそれが英文ならば、ハードルは一段と上がる。そんななかで、秘密保持契約を、各種のMOU(Memo of Undestanding(合意書))を、そして売買契約書の締結に至るまで。また異動した技術管理部門では共同開発書も手掛けた。いずれにせよ相手との矢面に立って交渉するのは大変だった。初めて文章に接した時は意味不明だった。
幸いに優秀な法務部門や知財部門のメンツの手助けがあったからこそ、自分のような者でも何とかその役割を遂行することが出来た。
つい先日、昔の会社の先輩方と「飲む」機会があった。一人は退職して異なる会社で、今もバリバリの現役だ。しかし先輩は約束の時間を大きく遅れた。「短納期で40頁の売買契約書ドラフトが送られてきてケリをつけないと。とても間にあわない」というものだった。しかし何とか目鼻を付けてくれて駆けつけてくれた先輩には頭が下がった。「めどは立った」と言われた。
英語の世界からも、会社生活からも身を引いた自分には、「駆けつけ三杯」を美味しそうにゴクゴク飲み干す先輩を前に、そんな先輩のご苦労を懐かしく羨ましく思い出すのだった。
話が弾んだ。「結局さ、英文にせよ日本語にせよ、勘所は支払いなどのビジネスコンディション。でもそれよりも、Warranty(保証)に加えて、Liability(責任)、Indemnification(補償)、I/P(知財)の帰属、Survival(残存条項)まずはこれらですよね。他にもあるけど、キモはココらでしたよね」と、こちらは忘れかかった知識を思い出して話す。すると先輩は言われる。「前の会社なら確かにそうだよね。でも今は会社規模も違うからさCondtionが重要なんです。特に契約書の準拠法。それにArbitration(仲裁)の場所。これも譲れないよね」と言われた。そうだった。被告地主義が全てでもなく苦肉の策でシンガポールにしたこともあった。キーポイントの一つであったことは、疑う余地もなかった。
現役の先輩の話は、説得力があった。
Both Parties herewith agree the following. XXX
The Company ABC Corppration (hereinagter callled as "ABC") of which its business principale located at 1-1 Minatoku Tokyo JAPAN ......
Notwithstanding the foregoing, the parties hereto agree that …
英文契約書ならではの、さまざまな英語の言い回しが思い出された。もっと平易に書くことも出来ように、もって回したような英文契約書の文章。思うに、文字数を稼いで文章に箔をつける。というより、文字数が法律事務所の報酬につながっていたのかもしれない。 初めてはその独特な世界にたじろいだが、そのうちにポイントが見えるようになった。楽ではないが、なかなか面白かったのだ。もちろん、その内容を相手の間で合意という名のもとに落とし込むことは、確かに難しかった。
自分より4歳年上の先輩が、そんなことで今も頭を悩まし、前向きに進んでいることは素晴らしいとしか思えなかった。自分も戻れたら、楽しいだろうな、と言う思いもあった。
頑張れ先輩。僕はもうその現業に戻るには錆びすぎた。しかしその近しい世界で、何かできないかとはいつも思っている。アメリカ出張をしていた頃は現地に駐在されて散々お世話になった先輩も、いつしか今は白髪が増えた。しかし熱意のあるアツい喋り口も、光を帯びた目も、柔らかな声も、すべてが30年前と何ら変わらなかった。
しごかれた契約書。きつかったけど楽しかった日々。頭の完全なリタイアはもう少し後にして、少し自分も歩んでみるか。小さな茨の道を。一昨日からパートタイムの仕事で自分がやるべきことを、英語で独り言で話すことを始めた。下手くそだ。しかしこれは前頭葉の刺激なろう。こちらも錆びぬようにしなくえはいけない。いばらの道も、小さく始めるのが良いだろう。