日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

脳の不思議・・食べ物と幸せな記憶

人間だれしも、好きな食べ物は何?お勧めの店は何処? と聞かれると、まぁ5分くらいは話が出来るのではないだろうか?自分もご多分に漏れない。しかし好きな食べ物としてお寿司や懐石料理、フレンチやイタリアンがすぐには出てこないところが情けない。まずはラーメン。そしてフライや自家製ドミグラスソースのかかったハンバーグなどの盛り合わせ定食、オヤジさんが中華鍋をカランコロンとならして出てくる肉野菜炒め定食、駅のホームで小母さんが手際よく作る立ち食いソバ。どれも1000円札一枚でお釣りの出る料理。そんな「B級グルメ」しか出てこない。なにせこれらは美味しいし、それより高価な料理店には自分はあまり縁がないのだから、仕方ない。

脳外科での腫瘍摘出手術を終えてまだ集中治療室に居た時なのか、あるいは脳外科一般病棟に移ってからの話なのか。その辺りは忘れてしまった。

病床で、ひどくうなされた。まだ手術後から日は浅い。手術痕は痛くせん妄も残る。ベッドの上では日々の境界線も自分の中にはなく、ひどく長い夢と濃淡織り交ぜる霧の中を彷徨うような時間がいたずらに流れるだけ。いや時間という概念もなく、ただ時折目が覚め、再び波がひくように意識が向こうに遠ざかる。それが一日の出来事なのかあるいは二日、三日の出来事なのかも判然としない。

しかしそのうなされた時は、思わず目が覚めた。汗もかいていた。寝汗ではなく、脂汗でもない。運動などできる訳もない。他にどんな汗があるのだろう。あった。辛い物を食べると出る汗。その時の汗は間違えなく「それ」だった。寝汗なら寝具が濡れる。脂汗はねっとりとする。しかし、その汗は、頭の頂上から粒の様ににじみ出て、左右の耳に流れていた。

明らかに夢を見ていたのだった。それは今でもシーンを思い出すことが出来る、妙に現実味のある夢だった。

僕の前にはカレーがある。それもカレールーで作る家庭料理のカレーではない。オムレツ型に盛られた白いご飯の横にさらりと或いはどろりと横たわる洋食屋のカレーでもない。といってインド料理店のものでもない。それは少しだけ甘い香りが漂う緑色。タイ料理のグリーンカレーだった。

夢の中で僕はそれを食べようとしている。すると、米粒が突如動き出す。無秩序な動きではなく法則性があり、それに則って自分に向かってくる。米粒は皿を跳躍すると隊列を組みどんどん親指大まで大きくなり、いつのまにか編み笠を被った緑色の戦闘服となる。その背中には火炎放射器さながらのタンクがあり、そのノズルを僕に向けている。そこから出てくるのは「唐辛子パウダー」だった。僕は頭の上からそれを浴びる。終戦直後の日本人が進駐軍DDT粉を噴霧される、そんな写真でしか知らない風景に近いものだと思われた。

たちどころに自分は降伏し、その証として頭のてっぺんや額など頭部のありうる毛穴が全開し、つぶての汗が出てくるのだった。

コメが人になるなど荒唐無稽の極みだが、とにかく皿から飛び出た彼らは普段は一般農民、しかしいざとなると銃を取る。そんなベトコンのようなイメージだった。「♪やっとこやっとこ繰り出したぁ。玩具のマーチがラッタッタ♪」そんな歌に出る玩具の兵隊さんではなかった。なにせ真っ赤な粉末をまき散らして迫ってくるのだから。

起き上がったらもう部屋も自然光で明るかった。居合わせた看護師さんに「グリーンカレーに襲われる夢を見ました。とにかく退院して食べに行かなくてはいけない!」と断言。看護師さんは、脳外科病棟にはよくある話なのか、笑って「美味しそうですね」と言ってくれた。

ありがたい事に自分にはそのカレーが、どの店のどんな料理だったのかが明白にわかるのだった。もう早期退職してしまった会社のビルに入っているタイ料理店のテナントだった。その店にかかわる思い出は以前このブログにも記した。* 

その記載通り、自分はそのビルに勤務していた頃はまさに適応障害というメンタルの病で苦しい思いをしていた。そんなある日のランチタイムに当時高校生だった娘が来てくれて、ともにお昼を食べた。ビルの中、酸欠の金魚の様な辛い日々の中にふと現れた娘はとても嬉しい存在で、彼女と食べたグリーンカレーはまさに幸福な味だった。この店の壁にキャラクターとして描かれているのが、まさに夢に出た兵隊そっくりの、編み笠を被った農民のイラストだったと記憶している。それが脳裏にあったのだろうか。

発汗を伴うという現実味を帯びた夢の中に突如出現したグリーンカレー。食べることが好きだからなのか、その幸せのカレーの思い出が強すぎたのか、そのどちらともつかない。しかし脳は、やはり、とてつもなく予想外の働きをして、可能性を示し力をくれる。「グリーンカレーを再び食べる」。そんな想いが、病を強く一蹴したのではないか。

先に脳外科手術から目が覚めた時、頭の中に40年ぶりに聞く力強い音楽が鳴り響き、それが自分をこちらの世界に引き寄せてくれた、そんな不思議な体験をブログに書いた。**  そして今度は食べ物が、幸せな記憶が、さらにその手助けをしてくれた。

脳にはまだ、自分の知らない沢山の可能性があるのではないか。赤い粉末を噴射する兵隊。自分の体にありながらも制御はできない脳の力に、僕はただただ驚嘆する。自分の中の感動や幸せな思い出が多ければ多い程、脳の可能性は広がるのだろう。ありがたい事に決して悪い方向に物事を進めてはくれない。それが今までの経験でわかっている。

ならば僕は、好きな食べ物とお勧めの店について5分ならず10分でも15分でも話しをすることだろう。

* https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/04/23/131634 

** https://shirane3193.hatenablog.com/entry/2022/04/24/171415

皿を離れた米粒が兵士になり唐辛子パウダーをかける。ありえない話だ。しかしそれは脳の仕業。自分のまだまだ知らない不思議が満ち溢れる。