いつも、右肩上がりでなければならない。急坂はありえない。緩やかな斜度を装う。そんな折れ線の下に、もう一本の線が伸びていく。二つの線は、まるでシンクロしているように見える。どちらも下がることは許されない。
だが、どこまでも上り続けることなど、できるのだろうか。
気づく。――これは絵空事だ、と。
そう気づいても、上り坂を描かねばならない。もし下り坂を描いて叱責されたとしても、解雇にはならぬ。ただ、日の当たらぬ場所に静かに追いやられるだけだろう。
会社とは、ある意味で軍隊に似ていた。上司の命令は絶対だ。正義を貫けば、たいてい刃は折れてしまう。仕方なく、自分も右肩上がりばかりを描いていた。
一本目の線は売上高。
そこから原価や輸送費、特許使用料、ライセンスフィーなど売上高とリニアに連動する変動費を引き去り、そこから人件費や減価償却費と言った固定費を差し引く。
残ったものが、二本目の線、営業利益だ。
会社は成長を続け、株主に利益を還元せねばならない。その絵さえあれば、株主は安心し、銀行も頭を下げて運転資金を貸してくれる。だからこそ、実態と乖離していても「右肩上がりの絵」を作ることが大切だった。
良いのだろうか、これで。
そう思いながらも、数字を積み上げていった。
予算づくりは営業担当者の意見集めから始まる。皆から提出された数字を積み上げると、あれれ、と思う。誰も自らの首を絞める強い予算案など出してこない。そこで今度はヒアリングが始まる。
「もう少し、何とかならないかな。新機種も出るしね。」
押し問答の果てに、かろうじて右肩上がりの形になる。
それでもまだ足りない。仕方なく、残りを「架空の数字」で埋めた。アテもないのだからそれは「白字」あるいは「白地」と呼ばれていた。
そんな、実態を伴わぬはかない期待を乗せて、売上予算は完成する。
売上が上がれば営業利益も増える。会社が本当に欲しいのはどちらなのか、今でも分からない。だが、従業員や株主に還元できる利益が「正義」だと思っていた。
だからせめての抵抗として、そんな「白字分」には同額の原価を組み込んだ。「そこからは利益は出ませんよ」という、静かな反抗だった。
勤務していた会社は、グループで十万人を超えていた。頂点から飛んでくる指令は容赦なく、組織の体質として染み渡っていた。当時、自分はフランスの現地法人に出向していた。ある日、天上の人が来社すると聞いた。現地人社長も日本人幹部も、最敬礼で迎える。悠然と歩むその姿は、見たことのない明治天皇の行幸のようだった。
やがて、その会社員生活も終わった。
早期退職金を受け取り、静かに去った。
数年後、小さな商社に再び身を置いた。家族経営に近い会社で、非上場であり予算も中期計画もない。売上のフォロー会議はあるが、どこか要領を得ない。それでも、長年そうやって回ってきたようだ。
もう一度社会に戻るにあたり、私は決めていた。数字と誠実に向き合おう、と。無理なものは無理。できることは、しっかりと。
営業メンバーと対話し、資料に落とし込む。パワーポイントに数字と対策を並べながら、あの日々の諦めと後悔がふとよみがえる。
―いや、もうやらないよ。
そう、自分に言い聞かせた。
あの会社はどうなったのだろう。不正な売上計上と利益操作が明るみに出た。数代の社長が告発され、老舗のブランド価値は失墜した。株価は暴落し、また買収事業はことごとく失敗し多額ののれん代の減損計上。組織は切り売りされ再編の果てに、今は上場を廃止した。株主たちは経営陣に損害賠償を求め、裁判所は三億円の支払いを命じた。―個人で払える額ではない。
それでは足りない。やる気はあるのか?もっと、もっと。そんな声が、いまだ耳の奥で響く。
数字づくりの一部に、私の積んだ小さな石もあるはずだ。些細なことかもしれないが、それは今も棘のように残っている。
「今期は厳しいね。来期に挽回できそうかな。」
そんな会話をしながら、私は思う。
数字は、作るものではない。あるがままを映すものだ。
パワーポイントは不格好になった。けれど、そこに嘘はない。
―右肩上がりなど、幻だ。これでいいのだ、と思う。
