システム手帳というものが世に出たのは自分が新入社員の頃だったか。いやその前からあったかもしれない。銀座の伊東屋あたりで見かけたのかもしれない。
同期入社の理系の男だった。A5サイズの革製の手帳を彼は持っていた。会社員になると予定が増える。来客、出張。、そしてまたプライベートも約束を入れてしまう。仕事よりもプライベート。僕は彼女との約束をたくさん覚える必要があった。会社が支給してくれる文庫本サイズの手帳もあった。そこに予定を書いていたが何分こちらはガサツで走り書きばかり。ぱっと見て分かる予定表ではなかった。その点理系の彼はしっかりと丁寧に予定を書いていた。そのノートはリング式で好きなところに好きな印刷した用紙を挟めた。彼はそこにインデックスを付けて色々な情報を管理していた。とても自分には出来ない芸当で、さすが理系は違うな、と尻尾を巻いた。
その手帳がシステム手帳と呼ばれることを知ったのはそれからだ。彼がそう教えてくれた。新しものの好きな自分はさっそく手に入れた。革製の物は一万円を超える。文房具にそれほどの出資も出来なかった。また様々なサイズがあったがやはり彼のようにA4が良いかと思いビニルコーティングされた紙製のものを手に入れた。
リングに挟む用紙には幾つもの種類がある。リフィルと呼ばれている。カレンダー、予定表、TO-DOリスト、アドレス・電話帳、罫線のみの用紙、方眼紙、果ては東京の地下鉄路線図、更には薄型の電卓や名刺入れシートなどだった。見ているだけで楽しくなる。様々な情報がこのファイルに収まりそれは片手で持てる。必要なものが、その全てが自分の脳みそに収まるという想いを抱かせる。しかしそれは人に依存する。分類・整理が上手い人にはもってこいだがそんな能力が不足している自分にとっては錯覚であると気づくのには時間が要らなかった。
自分も多くの情報を持ってはいたがインデックスを付けることが出来なかった。またメモ帳は仕事のメモもプライベートのメモも混然となり収拾がつかなくなった。なによりもA5サイズの手帳は重たい。いつの間にか机の中に眠ってしまった。サイズがデカいから持ち運ばないのだ・・ならば小さくしてみよう。システム手帳には幾つものサイズがある。新書のサイズに近いバイブルサイズから文庫のサイズに近いミニ六穴というシリーズがある。重くなるだけだが革製のものが質感が良い。「持つ喜び」を味わえる。ジッパーで閉じることが出来るものから、ペン刺しを持つもの、素材はコードバン皮からヌメ皮までと色々買ってしまった。自分の名前を掘れば愛着を持って使うかと刻印サービスも使ってみた。しかしどれも同じだった。結局情報をそこに纏めることが出来ていない。頭の中が上手く整理できないのだからそれを紙に落とすなどできっこないのだ。
今この手の手帳を使う人はいかほどか。文具店にはリフィルも売っているのだから根強いファンが居るのだろう。自分は皮のバイブルサイズに落ち着いた。この大きさなら苦にならない。しかし中身はどうだろう。今はスケジュール記入、それに増え続けるWEBサイトのログインIDとパスワードを隠語を用いて書いている。スケジュールならばスマホのスケジュラーも使うがやはりアナログ世代には紙の手帳がピンとくる。するといつか出てくる。スマホに入れた予定だがシステム手帳には書き忘れている。そしてその逆も起きる。さらにはどちらにも記載し忘れることもある。困った話だ。せめて両者のデータが自動でシンクロしてくれれば嬉しいが・・。無理だろう。
対策として週末にでも両者をすり合わせて記憶のリフレッシュをすることを考えた。二つを並べて見比べる。ミスは無くなるものの果たしていつまで続くだろう。そこでもうひとつ、いや二つのタスクをこのシステム手帳に背負って頂く。まずは浮かんだ言葉や話の筋書き、テーマなどを走り書きする。これはノートには綺麗に収まるまい。断片的なキーワードだからそれでよい。文章にしたら消えても構わぬから。もう一つは、これなら大切にするだろう。エンディング・ノートだ。電子データで作りそのエッセンスを紙に落として更新していく事だ。誰のために?言うまでもないだろう。脳腫瘍で入院し短き人生が終わることを意識した。この時病床でノートの走り書きを記して妻と娘たちに渡した。財産一覧とその処分。デジタルデータへのアクセス方法、自らの終末を伝える相手。葬儀への希望。簡単なエンディング・ノートだった。それを今からシステム手帳にも控える?可能だろう。たいした中身ではないのだから。
スマホとシステム手帳。デジタルとアナログ。自分の幕切れの予定までをそれで管理する。ありがたいのかつまらないのか、良くわからないがやらねばいけないだろう。
