文字の起こりはなんだろう。間違えなく象形文字だろうか。昔の壁画にもそれを見ることができるだろう。今見ても意味はわからぬ形だがそのようなものを用いて人間は意思疎通を行い何かを後世に残した。
頭の癌を取り除いたあと脳外科のベッドの上で自分が残した文字がある。小さなノートに一体何を書いていたのだろう。その手帳の表表紙にはこう書いてある。「お釣りで生きる人生ノート」と。しかし中を開くと象形文字ばかりだった。何かを残そうと必死だったのだろう。文字は時に強く書かれ鉛筆の芯は折れていた。何も読めぬ。ただ生きようとする必死さがそこにあった。
新しい職場に新しい職員が入ってきた。その仕事の定年は年齢不問で彼は後期高齢者だった。人のことは悪くは言えぬ。しかし彼は脳の衰えた自分が見ても更に輪をかけて劣化していた。ハアハアと歩きながら息をする。肉体的にも辛そうだが何よりも頭が疲れ切っているようだった。仕事の手順を先輩は教える。聞いて頷くのだがメモをとることもない。注意されて彼はメモを取り始める。覚えたての仕事の手順を懸命に書いている。しかしいざ実務に入ると何も出来ない。メモを開いて書いたことを読めば出来るはずですよ、そう言われているが肝心のノートの中身はヘビのような字が並んでいるだけだ。彼自身がそれを読解できないのだった。
自分を見ているようでいたたまれない。確かに気の毒になあと思う。彼も新しい仕事に慣れようと必死なのだがその職員については教える人教える人誰もが音を上げている。新参者の自分も教える番だった。いろいろ言って頷くのだが体が動かないようだった。
どこかで見た風景だと思えばそれは脳外科のあのベッドだった。誰もが必死だ。できるできないはその後についてくる。作業療法士と言語聴覚士は根気よく自分の脳の機能を直してくれた。幸いにも病は逃げていき僕はなんとか社会復帰をした。象形文字ではなくペンで日本語も書けるようになった。しかし高次脳機能障害はわずかに残っている。
誰もが懸命なのだ。仕事を覚えられぬから愚鈍だと思うことは自分には出来ぬ。どうか頑張ってほしい。七十年を超えて生きたのだから何らかのノウハウは残っているはずだ。そう彼も僕も日々戦っている。読めない文字を沢山量産しながら。いつかそのうちにしっかりとした字を書けるかも知れない。
次の出勤日だった。彼はもう来ないよ。ここを辞めたよ、そんな話を聞いた。惜しい事をした。しかしこの仕事以外の、象形文字を書く必要のない分野で、彼は頑張る事だろう。
