日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

怖くて手が出ない

SNSの画面に広告が出てくることはよくある話。多くは自分が調べたものに関しての商品やサービスについての案内だ。

先日はとうとう違う案内が来た。マイクロソフトのAI& GPT4アプリのインストール案内通知だった。調べてもいないのに何故だろう。余りに旬だからか?

何でも聞いてください。チャットしながらコンテンツを作ります。と書かれている。 

数年前からいくつかのサイトで対話形式の画面が出てきたことがあった。病状の検索だった。なにかの製品での不具合対応でも対話サイトに導かれたことがある。もちろんネットの向かい側に人がスタンバイしているわけではないことはわかっていた。レスポンスも意外に早く、辿り着く答えもピント外れと言うわけでもない。これは質問と答えのパターンをマニュアルで沢山用意して、質問者の入力内容によってフローチャートのように辿る線を変更しながら先に進んでいるだけなのだろう、と想像していた。しかし本当なのか?と、病については勿論医師に相談し、不具合については結局コールセンターに電話してしまう。ヒトの声による実体のある回答が自分を安心させる。

次にマイクに向かって口ずさむとその曲のタイトルを導き出してくれるアプリにも驚いた。時々行く近所のスーパー、西友では、何故か自分の好きな1970年代のブラックミュージック、それもマイナーなレアグルーブを含めたダンスナンバーが店内のBGMとして流れている。あ、この曲好きなんだよな、誰だっけ、何だっけ、題忘れたな、と歯痒い思いでスマートフォンに口笛やハミングでそのメロディをインプットしてわずか数秒。その楽曲のタイトルと動画サイトのリンクが出てきた時は流石にたまげた。これはフローチャートを辿るのではない。次の次元だろう。

しかし案内のあったようなAIアプリはといったい何者なのか。チャットしながらコンテンツを作る、とは何だろう。イラストも書いてくれるモノもあるという。全く何ができるのか分からない。得体のしれないもののように思える。またそれを何に利用するのかも正直頭に浮かばない。

思いの丈をアプリに入力したらそこから勝手に文章にして、相応しい絵を書いてくれるのだろうか。小説家もエッセイストも、画家もイラストレイターも自分の想いを文章に絵にしたい、自分の言葉や筆で表現したい。そんな思いがあるからこそ、時に頭をひねって苦吟しながらでも書きそして描くのではないか。知能と創造性を持つのは人間だけでよいはずだ。

とはいえ使ったこともないものをこれ以上とやかくも言えない。使ってみると、なぁんだ便利だな、となるかもしれぬ。あとボタンひとつ押すとインストールされるのだが、怖くて先に進めない。新しい時代の扉を開くのは自分なのだが躊躇している。

コロンブスは船出の際に、リンドバーグは離陸の時に、躊躇しなかったのだろうか。この先にはいずれも見知らぬ荒海と果てぬ空が待っていたはずだ。乗り出してみれば新しい世界観を得るかもしれない。怖くて手が出ないままで良いのか。指先は震えるがポチリと押してみるか。創造心が奪われるのなら使わないまでだろう。

スマホに突然出てきた画面。試すか試さぬか、使えるのか使えないのか。はっきりしているのはインストールしないと答えは出てこない事だ。



ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村