日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

感謝の〆

12月を一年の終わりとするならば、今日で無事に今年は終わった、と感じた。

入院していた病院のある街にはこのあたりではなかなか気の利いた商店街がある。自転車も多く行きかい大学の附属高校もある。活気があるのだ。今日は年末らしくいつにもまして人が多かった。

今年はこの街に何度通ったのか。経過観察は病院で紹介された近くのクリニックだった。そこで採血と結果確認。月2回だから24回というわけか。いや、半年ごとの病院での全身CT検査もあるからプラス2回か。毎度計測する可溶性インターロイキン2レセプターの値を見て「落ち着いています」と医師は今日も言ってくれた。

この値が高値を示せばリンパ腫が再び活発化したこととなる。毎月蟻の戸渡りを歩く気がするのだった。罹患からまもなく2年。治療終了からは1年半。大丈夫と自分を元気づけながらもすぐに弱気になってしまう日々だった。しかし死と生が常に隣り合わせの病院で日々を過ごすうちに、「何が起きてもそれが定めだろう」というある種の諦念も知った。

毎月が審判。「値は安定してます」という言葉で安堵して妻と歩く商店街は楽しかった。目新しいものがあるわけでもない100円ショップも、もう一匹飼う訳でもないペットショップも、揚げたてコロッケを置いた惣菜屋も、特売野菜を並べたスーパーも、良好な結果が出た後は全てが目新しく生き生きと映る。また小洒落たイタリアンやインド料理店、洋食屋や広東料理店、ベトナム料理店などもある。病院の帰りは、とにかくひと月を無事に過ごせたという安堵と感謝でそれらの店で昼食だった。

商店街の駅の近くに、長く通っているラーメン店がある。娘たちが生まれる前から時折食べに来ていたがその娘も結婚したほどで、その時の長さを感ずる。当然商店街の店は変わったしラーメン店もまた世代交代で若親父が継いでいた。味は受け継がれていた。

長い時間とともにいつか若親父と顔なじみとなった。今月のクリニックでの審判もポジティブだった。ならば年の最後にと、くだんのラーメン店におのずと足は向かう。

この一年の社会の激変を受けてか店もまた値上がりしていた。しかし単に値上げするのでもなくそれなりの親父さんの気概を感じた。麺も小麦粉の配合を変えて新しくした事も書かれていた。寸胴のスープに高価そうな利尻昆布が一束投入された。いかにも良い出汁が出そうだった。常に前進だ。

親父さんの炒めるモヤシは逸品だろう。強い火力、中華鍋の上でモヤシは舞う。シンプルに行きたい支那そばも、この店だけはモヤシトッピングは欠かせない。

今年一年、何度このラーメンを幸せに食べたのだろう。思えばガン病棟から退院して初めて食べたラーメンも病院からほど近いこの店だった。それを食べる事が楽しみだった。久しぶりの一杯は無事にこちら側の世界に戻ってきたというお祝いの味に感じた。

毎月の検査を終え時折立ち寄るこの店のラーメンは、自分が無事に日々を過ごしている証だ。「今年はこれで食べ納めだね、感謝をしよう」、そう食べながら妻と話した。

食べ終わってから以前もそうしたように、商店街の和菓子屋でお団子を買いご主人に渡した。自分たちにできる感謝とは、残さずに食べる事とこのくらいの事しかない。丼を温めるためだけのグラグラ揺れる寸胴鍋からラーメン丼を引き上げている親父さんは、まさにヤマ場だった。

「すみませんねぇ、そんなのイイよ!…」
「いやいや、こちらこそ、今年一年ご馳走様でした」

声を掛けて邪魔にならぬようにと逃げるように店を出た。何故だろう、これで今年は無事で終わったような気がした。治療の経過観察は来年も再来年もその先も続く。データに安堵し続けたいが毎月が正念場であることには変わりがない。

「良好な診断結果後の一杯の支那そば」。一つこれを引き続き次の一里塚にしよう。今年の「感謝の〆」はこれだった。これからも〆の山を築くつもりだ。

これ迄に一体何杯食べたのか。夫婦だけの時代。子供たちを連れたころ。彼らが巣立ち再び二人になった時。病から復帰した時。経過観察の日々…。これからも大切な一里塚だろう。