日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

牡丹の花、スミレの花

北風も止み桜の季節を迎えると、そろそろご近所さんのガーデニングの庭も楽しくなる。むろん他人様の家、しげしげ拝見とはいかない。が目を惹く花がある。薄桃色の大振りで綺麗にまとまった形は牡丹の花。その可憐さに散歩する人は思わず足を止める。また、路傍に目を向ける機会も増える。勿論桜も人様の庭も立派だが足元を見ないのは片手落ちというもの。住宅地の道路、舗装の割れ目から可愛い紫の花が咲いている。素朴な清楚さは、スミレだ。

園芸の花、牡丹。野生の花、スミレ。共通項と言えば、女性 ではないか。「牡丹のように華やかで芯のある女性」「スミレの様に可憐で純粋な女性」。昔の文芸作品にも映画にも、いかにも登場しそうだ。

自分の職場は地元の地域に根差したもの。地域内で生活の援助が必要なご高齢の方、あるいは子育ての悩みを分かちあう、子供と一緒にお菓子をつくる、又、これからの生き方を模索する、老後のために軽い運動をする。そんな子育て世代やシルバー世代の方々が個人で、グループで来所される。そんなご来所さんに対応するスタッフの多くは女性だ。

ご来所された高齢者の方々と共に遊ぶ。大きな声を出して盛り上げる。必要あれば入浴や排泄の介助もする。

担当されている方の体調が芳しくないと聞けば電話で懸命にフォローし、自転車を駆って訪問する。坂の多い街だ。荒れた天気の日もある。それでも電動自転車にまたがって、カッパを羽織って出かけていく。

子育てに悩むサークルの中に入り、共感し、策を探す。健康体操の音頭を取る。定年を迎えうつむき加減に悩む男性のつどいで今後について、明るく話題を提供する。

そんな彼女たちは、明るく美しく、芯が強く逞しい。何も見えない霧の中にポッと咲いた一輪の強い花の様に利用者さんには見えるのではないか。しかし夕刻に職場は閉館する。すると今度は身の回りの話などを明るく始める。その声に辺りはぱあっと華やぐ。懸命な顔から、肩の力が抜けたような素の姿へ。強く可憐な花は純な花にもなる。

ある日の夜、職場に突然家内が現れた。予想外の時間帯に開いた自動扉にスタッフ一同反応する。「ああ、どした?」と行くと、雨傘を持ってきてくれていた。そう言えば少し前から開いた窓の向こうから雨音が聞こえていた。

「やさしいのねー、素敵な奥様ね」
「いやいや、持ってこなくてもここの傘を借りるけど」

出る必要もないのに数名のスタッフは玄関まで出て家内に挨拶しそして小学生の様にはやし立てるのです。「いやー、真っ赤よ、顔が。照れてる」

しばしの間、格好のやり玉にあがってしまう。恐るべき女性スタッフ。これは僕の知らない花だな。食虫花とは言いすぎだが、居ずらいよ。

牡丹の華やかさは言うまでもない。ぱぁっと輝いて周りを明るくする。しかしスミレの花も甘く見てはいけない。豊かな土壌で無くとも地下茎をのばしコンクリートの割れ目からでも花を咲かせる。可憐さに加えそんな芯の太さ・力強さがある。自分と接する女性達は美しく生き生きとして、時に牡丹、時にスミレのようだ。

毎日共に暮らしている家内を筆頭に、人類の半分は女性。これからも長く続くだろう人生を豊かに暮らすには、世の女性達とうまく過ごしていくことが大切なようだ。花は美しくも逞しくも少しだけ棘や毒があったり。とはいえ女性の持つ素直で前向き、豊かな力には敬服するしかなく、自分はそれに従うだけだ。これからどう過ごしていけばよいのか。今まで通りお花を傷つけぬように自然体で行く、それしかまだ、答えらしいものは見当たらない。

牡丹の花もスミレの花も、素敵です。