日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

紫ランのお引越し

いくら関心が豊かではないと言えども、何十年も野山を歩いていると好きな花のいくつかは出来る。繊細で美しい高山植物は少し別格。なにせ高い稜線迄自分も頑張らないと彼らに出会う事は叶わない。がそこまで頑張らぬとも、沢沿いや少し登った平地には、いくつものお気に入りの花が出来た。

登山道は愚直に尾根を辿るものもあれば沢沿いに登るものもある。前者でも沢を横切ったり、高巻いたりする。よって沢沿いに咲く花を見る機会は多い。そんな中で素敵な山の花となると自分はヤナギランを挙げたい、と思う。

南アルプスは夜叉神峠から鳳凰三山へのアプローチ、北アルプス秩父沢。緑一色の中に揺れる赤紫の花、ヤナギラン、その気高さは忘れられない。そしてツール・ド・モンブランのコンパル湿原にて。氷河から流れ出る清冽な水に溢れた湿原に咲くヤナギランにも歩みが止まった。「まぁそうガツガツ登らなくても良いでしょ!自分を見て少し休んでくださいな。」そんな癒しの気配に満ちている花だった。ヤナギランは日本固有種でもないのか。美しさに国境はないのかと、いつしかこの花は自分の憧れになった。

ある年病に伏せ、この先の自分には山歩きは遠いものと諦めた。しかし入院から通院治療に切り替えて初めて散歩した初夏の近所の公園で、見たのだった。緑豊かな公園に揺れる赤紫の小さな花。ああ、ヤナギランだろうか、こんな低地の公園に咲くのか・・。それは病に伏せた自分がすべてに対して抱いていた諦念を、そうではないだろう、とたしなめるような慈愛と癒しに満ちていた。

公演の管理事務所で伺うと、この花はヤナギランではなく紫ラン(シラン)という事だった。確かに亜高山帯の湿気のある場所に咲く花が海抜20m程度の平地に咲くわけもなかった。しかし、自分にはそれで十分だった。ヤナギランでもシランでも、いいではないか。心の中に咲いていた花が、今目の前にある。強い生命力で、赤紫の花を咲かせているのだった。

少し離れた高原に所用があり何度か足を運んでいる。夏の盛りにはマルバタケブキで黄色くなる原だ。秋には草木の勢いも衰える。多いとは言えない雪でも、冬は一面覆われて、クロスカントリースキーでもできそうな原になるのだった。春、4月早くなるとフキノトウ。少し後にはワラビ。そしてツツジも散りかける5月の終わりの今、原の一角に赤紫の花が群生しているのだった。

「あ、これシランだね!ほら、去年あの公園に咲いていた奴だよ」

家内と顔を見合わせるが、僕は同時に困惑していた。なぜならいずれそこは地面が掘り返されることを知っているからだった。そうなれば、自分に希望を与えてくれた可憐な赤紫の花は茎ごと嚙み砕かれて残土として何処かに捨てられるのだろう。

「なんとか、しなくてはね。」

どちらからともなく、二人して車からショベルを出して、群生地を掘り起こした。シランの「お引越し」だ。引っ越し先は沢が近い東側の土地を選んだ。そこは陽光降り注ぐ場所なのだ。そこにショベルで穴を掘り、そこに株毎移植する。シランのカブは球根状で、地下茎が長いわけでもない。思ったよりも簡単にお引越しが進んだ。しかし数十株あるのでなかなか汗をかく。土仕事には無縁な都会のシルバー夫婦なのだから、汗まみれで気息奄々だった。。

「農家さんって、大変だね」

汗をぬぐい、泥まみれになった軍手を外しながら、家内は言う。シランのお引越しは無事終了し、初夏の日は西に傾いた。

さて次回ここに来るのは何時の事か。一年後にお目にかかるのか。生命力は強い花、と言われている。確かに誰かが植えたわけでもなく、自生していたのだからさもありなんだろう。

「お引越し先」の場所はしっかりと覚えておいた。盛夏がやってきて、秋風が吹き、雪に覆われる。そしてまたフキとワラビが伸び、ツツジで赤く染まる。その次は、「貴方」達の出番だろう。元気で再会。もっと株が増えていたらいう事もない。

「また来年だね。それまでに色々あるかもしれない。だけど、必ず再会しよう。」

あらゆる人や物に向かい自分はそんな台詞を、病の後まるで呪文のように何度口にしたことだろう。そんなセリフでも何度でも喋れば実現することを僕は信じたし、それは今も変わらない。お節介な引っ越しだったかもしれないけれど、許してほしい。自分はそれが楽しみなのだから。

大切な一年一年を過ごすために僕は呪文を唱える。「また来年お会いしましょう。」

シランのお引越しも無事終了。再会はまた来年だね。