●まえがき
シニアとは何歳からなのだろう。
シニア割の切符を手にそんなことを考えていた。スクリーン正面。トム・クルーズの映画だった。
断崖絶壁からバイクで空へ飛び上がる。ああ、ちびりそうだった。
もちろんシニア割で入場したからではない。ビールとポップコーンをしこたま飲んで食べたからだ。
シニア割?
シニアになにか特権はあるのか?そんな境界線を押し上げている奴らがいる。
ははあ。俺もね。やるよ、と小さく叫ぶ。
● シニアの作文
来月だろうか。ストーンズの新譜は。楽しみでならない。勿論、ザ・ローリング・ストーンズ。ミックもキースもとうに八十歳を超えている。どんなエッジとリズムを聴かせてくれるのだろう。結成から六十年のバンドアンサンブルで。
シニア割引が使えるようになってきた。映画館、地元のスーパーなど。ゴルフの打ちっ放し練習場では、なんと65歳から。チッと舌打ち。しかしまだシニアではないなと、ここで少しホッともする。
しかしまあ、外見的には誰が見ても王道のシニアだから仕方ない。一応、気にせずに電車の中、シルバーシート─今では優先席─に座ってもよいだろう。
毎日エッセイを書くこと四年、僕は自分の変容に気づく。書くエッセイの中身が少しずつ後ろ向きになっている。これは由々しきこと。
だから聴く。AIに。シニアのエッセイの特徴とは?
それをいちいち書いても仕方ない。ただ、「あ、そういうことか」と頷く。
長い経験を経た人だからこそ描ける重み。未来よりも過去の情報量が多いのだから、振り返ることは当たり前。
ただ振り返りと回顧は違う。シニアの作文、もといエッセイには後ろを見て今は確かめ、前を向こうという方向がある。後ろ向きに見えても、過去を掘りつつ前を見る姿勢が見える。
まあ概ね、そんなコメントだ。簡単に言えば、シニアも悪くない。なかなかイケるじゃん、ということか。
自分の最近の書いたものには、こんなくだりがときおり顔を出す。
「もし僕が、この世から居なくなっても……」
しかしこれは厭世論でも願望でもなく、むしろ強い生への希求なのだ。それならばもっと違う書き方も出来ように。しかし反対を書く。そう反語とは強い肯定の裏返しなのだ。僕のそんなクセは学習の結果。五年前のガン病棟の、毎日人が去っていくあの部屋の。反語で語らなければ住めない部屋でえたものの。
今ブログに残る三年前や四年前の記事を見れば少し疲れる。意気込んでいるし、過剰だし。話も散らばる。今ならこんな書き方はしない。しかしまた、さらに三年後に見たなら、また違うことだろう。
こう考えてみよう。シニアとは成熟だと。どうだろう、ミックとキースは昔通りだけれど、多分スッと力は抜けている。そして──。
ふっと、まだ聴かぬヤツらのアルバムを想像した。ロックンロールはある。それも極上のヤツが。鉄板だ。ファンクやレゲエはもうやっていないだろう。カントリーとブルースは? 多分ある。では、サンプリングにバンドサウンドを乗せて、ラップをミックが歌う?
アリだ。そうこなくっちゃ。
