「ダイキくんとよく出かけるの?」
「行くよ。」
彼女との待ち合わせは、ある街のショッピングモール。そこで僕は数カ月ぶりの彼を見た。そこら中を走り回る。それは「ボクはこの世の真ん中だよ」と言っているようだった。おお、この年齢で天動説か! 大物だな。笑みが出る。
二歳に満たない彼は片言で単語を口にする。初めて覚えた言葉がアンパンマンとは母親を少し落胆させたようだが、今はママと言う。溜飲は下がったか。
家内と娘とその息子、そして僕。僕と家内は見ず知らずの他人同士だったが、残りの二人は違う。僕は神社の鳥居の、神殿の縄を思い出した。「しめ縄」。太く藁で編まれた縄。無論それは、その先が神域であるという結界門の意味かもしれぬが、あの太くて強そうな縄は家族の絆を思わせる。「きずな」。日本人はこの言葉が好きなように思う。例えば卒業式の色紙を思い出せば、どこかにその言葉を見つけるだろう。僕はなんだか安っぽく思えて好きな言葉ではない。それはことさら強調しなくても、家族や仲間には宿っているから。それを強調するのは、切れたくないからだと。
血を引く娘と、さらにその続きの孫。両端に私たち、間に娘と孫。やはりこれは、僕にはか細いかもしれぬが強い造りのしめ縄に思えた。血の繋がりの縄。
その縄でたくさんの旅をした。その時の縄には孫はいないけれど、二人の娘と私たち。四枚の「シデ」、それは字の如く紙が垂れたもの、そんな紙垂を思えば、それはやはり「きずな」と言える。僕は間違っていたかもしれない。あの雷光型に切られた白い紙と、それを繋ぐ縄で旅に行った。
「ほら、あそこに行っただろ。」
「覚えてないよ。」
「なんだ、残念だな。色々行ったのにね。君たちも楽しめれば、と。」
「それは父とママの思い出作りでしょ。」
そう言われて気が抜けた。空回り。まあそんなものかもしれない。
娘は立ち上がり、走り回る息子を抱いてベビーカーに乗せた。
「お昼、食べに行こう。チャイルドメニューがあれば大丈夫よ。」
「今日の遊びも彼には思い出になるよね。」
そう言ったら彼女は言う。
「私もたくさん出かける。ダイキのためかもしれないけれど、私たちのために。自分たちの思い出作りでしょ。」
思い出か。そうだな。
お子様ランチには、なぜか「日の丸」が刺さっていないのだった。彼女の頃は標高3センチほどの「ごはん山」の上に勝ち誇ったように立っていたはずだ。摺鉢山の頂上に立ったかもしれぬような日の丸が。しかしそれもなくなったか。時の流れは少し淋しい。それでよい。何よりも世界は安定し、小さな家族にも新しい家族にも、愛が優しく包んでいるのだから。
ハンバーグを彼女はスプーンで割りながら、彼は大きな口を開けた。おいおい。
はたから見ればよくある家族の光景。これぞしめ縄だ。いいな。
また、思う。僕達の高原への移住も、これもまた思い出作りかもしれないな、と。ただ、それを振り返る事があるのかは、わからない。もう紙垂もしめ縄も多分要らないかもしれない。
