あれ、サツキは二本植えたはずだ。一本はどうしたのかなぁ。
高原に冷たい空気が落ちてきた。まるで投網のような寒気団だった。漁師は網を投げて、しばらくしてから裾を引っ張る。カサゴにスズキがたくさん入っている。船に上げると網が小さく跳ねまわり、陽の光が細かく踊る。それは沖合の世界であり、この山の地では、秋の気配がすべて網に持っていかれてしまうのだった。今年は何度、空から投網がされたのだろう。
数週間前にはあれほど獰猛に生えていた庭の雑草たち。肩から下げるエンジン付きの刈払い機で、何度刈ったことだろう。しかし雑草魂だ。すぐにぼうぼうになってしまった。が、寒気には降参か、すっかり枯れてしまった。根こそぎ獲るとはひどいものだ。空には大漁旗がはためいているだろう。
邪魔者がなくなると、庭を改めて検分できる。ずいぶんとすっきりした。秋の乱獲者に感謝する。
一年半か。地道によく植えたものだった。ブナにはこだわった。自分が一番好きなこの樹木だけは、ある程度成長したものが欲しかった。それも二本。造園屋の出番だった。小さなショベルカーで掘られた穴に、ワイヤーで吊られた彼らが根包みごとどしりと座った。同期生はナラ、それにカシとソヨゴだった。自分でもその後に、腰丈ほどの樹木を地道に選んで植えてきた。ソメイヨシノ、ヤマボウシ、ナナカマド、またひざ丈のアセビ、ドウダンやサツキも増やした。空の乱獲者のおかげですっかり雑草はなりをひそめた。
さっぱりした庭を探してもサツキがいない。またアセビも一本見当たらない。自分で穴を掘って植えたのに、勘違いだっただろうか。
あ、そういえばあの時に——。
アキレウスという英雄がいる。破壊的な怒りと圧倒的な戦闘力を誇った戦士として、ギリシャ神話にその名を残している。彼が馬車仕立ての戦車に乗り行軍する絵を、どこかで見たことがある。きっと彼とその一団が通った後には、ぺんぺん草も残らなかったに違いない。
あのとき、あまりの雑草の繁殖力に憤怒していた。つい数週間前に刈ったばかりなのに。何度かの雨と晴れを経るたびに、また草ぼうぼうだった。発作的に刈払い機を肩にかけた。スターター紐をえいやと引くと、軽快にエンジンがかかった。あとは地面を舐めるように、腰だめで回していくだけだった。
コノヤロウ、見ておれ、目にものをくらわしてやる——。
ぶんぶんと刃が回り、一気にきれいになった。アセビやサツキは特に背が低く、雑草に埋もれていた。エンジンを背にしたアキレウスの戦車は、一気にすべてをなぎ倒したに違いなかった。よく探すと、確かに草ではなく、直径一センチほどの木の幹が上半身を刈り取られていた。なんということだろう。大切な木なのに。
武器を持つと、人は凶暴になる。目の前のものがなぎ倒されるのは気持ちが良い。刈払い機のレバーを、つい強く握ってしまう。善良な一市民を自覚している自分ですら、こうなのだ。ふと、遥か彼方の大地でも、似たような音が響いている気がした。鉄の車輪が土を裂き、風が血の匂いを運ぶ。武器と武器が向かい合って、もう何年になるのだろう。停戦協定は守られるのか。二つの大国の首脳は、どんな言葉を交わしているのだろうか。
やれやれ、やってしまったか。幸いに幹は残っているから、きっと少しずつ成長してくれるだろう。もう僕は武器を持つことはやめよう。
ブナの樹を見ると、心が休まる。幹にあるあの美しい模様は、苔や地衣類の仕業と聞いたことがある。ずいぶんと綺麗な化粧をしてくれるではないか。近寄って木肌を撫でてみると、命を感じる。まだ若い木なのでどんぐりが成ることはないだろう。しかしそのうち、小さな実が落ちるに違いない。
ドングリといえば、どうだろう。クマの大好物だ。今年は人里に及ぼす被害が特にひどく、まるで彼らを巡るニュースは芸能人のゴシップのようだ。もともと山に棲んでいたが、この酷暑でドングリも少ないのだろう。彼らも必死だ。しかし実際にクマに遭遇したら、どうだろう。警察と猟友会も、またより強力なアキレウスの戦車に乗ってやってくるだろう。
クマにせよ雑草にせよ、本当に目を三角にして接する相手だろうか。
