日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

自家製の一品

春先に植えた野菜たちが大変なことになっている。わずか八平方メートルの小さな畑なのだが、収穫期で気ぜわしいのだった。厳しい冬が明けて最初にやったことは畑の鍬入れだった。そして旺盛な雑草を刈る。小さめの畑にして良かった、とこの時に感じる。この春は種を埋めたのではなくすべてがポッドを買い畑に埋め直した。

正直畑仕事は少し面倒だと思っていた。畑に埋めれば勝手に育つ、そう思っていたが違う。手がかかるからだった。しかしなによりも家内が熱中しているので良かったと思うのだった。毎朝いそいそと庭に出て水をやって成長を見ている。まるで我が子を育てているのか、そう皮肉屋の自分は思うのだ。マルチシートと呼ばれる黒い地面のカバーを敷く。根が大きくなると保温のために藁の束を敷く。蔓性の野菜に対しては支柱を立てて蔓が絡むようにとネットを張る。雨を避けたいのだからとビニールの天井を張れと命ぜられる。その手の作業はすべて自分にお鉢が回る。自分は庭づくりは好きでブナの樹をいつも撫でるけれど畑はどうか。自然のものだからそこまでやらなくても勝手に育つよ、と言うが、周りの農家さんを見てよ、と返される。

ねぇ、花が咲いた。見て。一体何度畑から呼ばれる事だろう。しかし知った。キュウリの穂先は花であることを。それはピーマンもインゲンもトマトも茄子も同じだった。黄色、白、紫 そんな花が咲いて喜んでいるとすぐに花の根元の花茎がぷっくりと膨らんでくる。幼児の陰茎のような膨らみ方をしていると思えばそれはキュウリになる。花が散り残念がる必要もない。散った後はぷっくりと乳房のように膨らんでくる。それが茄子でありインゲンでありトマトだった。初めて知った。人間が成長するがごとく野菜は大きくなると。受精卵が分割して胎児になるのと変わらぬ。これはまさに生命の神秘だ、そう大げさに僕は思った。

そろそろ良いかな。そう言われて庭に出た。収穫だ。育ったものから切っていく。キュウリの葉には棘があり、イテテとなる。そんなキュウリも勿論棘だらけで下手に触ると痛い。スーパーの店頭の品とは訳が違う。トマトはまだ熟さない。しかし茄子もインゲンも、ピーマンも、キュウリも、イタリアンパセリも収穫期だった。何種類も獲れる。少量多品種生産と言う訳だ。

春先に植えた夏野菜たち。早速頂く。キュウリと茄子は糠づけもよし。イタリアンパセリはパスタに使う。茄子とインゲン、ピーマン。どれも少しづつボウルに取った。ピーマンの葉も加えた。これらをざっとゴマ油で炒めて醤油と酒で味付けだった。自家製の一品の出来上がりだった。缶ビールが出てくるのを抑える事は出来まい。デッキに出てそれを肴にグイッとやる。なんて美味しいのだろう。生命に乾杯と言う訳だ。さて今度は秋野菜だろう。家内の命令をたくさん受けて作業ズボンにゴム長を履く。還暦を過ぎて高原に移住した。こんな生活が待っているとは思わなかった。

ボウルに入れた収穫物。美味しいぬか漬け、小さな炒め物。胸が躍りビールは進む