日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

桜並木の見沼用水

埼玉県の見沼公園あたりの風景を知ったのは誰かのブログだったろうか。いや、ランドナーというキーワードで検索したWEBサイトだったかもしれない。ランドナーとは今流行りのカーボンやアルミのロードバイクではなく、鉄のホリゾンタルフレームに泥除けのついたクラシックなデザインの自転車を指す。早く走る為の自転車ではなくゆっくりと旅をする自転車だ。そんな自転車の愛好会の会合が見沼の公園で開催されていたことを思い出したのだった。見沼の地は埼玉県大宮市、いや、今はさいたま市は大宮の東側にあるという認識だった。

東大宮に住む知人の家に行く所用があり折角行くのだから自転車で行ってみようと思った。自分の街からは片道70キロメートルある。自走の案はすぐに却下して途中の川口市あたりまでは車を利用した。川口には自分のランドナーのフレームを作ってくれた工房がある。見沼の名がつく公園は幾つもあった。しかしそれらはあるサイクリングロードで結ばれていた。埼玉県が「緑のヘルシールート」としてWEBサイトを作っている。パンフレットもあるようだった。時間的に工房は寄れそうになかったが地形図を見ながらコースの概要を考えた。

埼玉も大宮までの南北に走るJR線に乗っている限り都会の風景が続くがこうして少しだけ東にでも西にでも進めば田園風景が広がる。見沼川代用水路に沿って続く道はそんな中を進んでいた。水路は東へ西へと蛇行を繰り替えす。数日続いた雨天や曇天で桜は満開ではなかったがようやく先日辺りから咲いたのだろう。もう七分咲きだった。土曜日という事で散歩の市民も多くサイクリストも多かった。

見沼自然公園は大きな芝生もあり多くの家族がピクニックをしていた。時速18キロ程度で巡行していたランドナーをそこで停めて自分も休憩をした。笑い声が僕を包んだ。コンビニで買ったさもないお握りとペットボトルのお茶が何故こうも美味しいのかは分からない。

ルートは自然なカーブを繰り返して北上していく。道の左手に桜並木、右手には菜の花。桃色と黄色が自分を取り巻いて自分はランドナーに乗ったまま色彩に溶けそうな気持だった。春に包まれたのだ。それは夢の様にも思えるし、もしかしたら浄土の光景なのだろうかとすら思えた。

ニ十キロを超える桜の道を辿ったのは初めてだった。東武野田線を超えると素敵なルートを外れてしまい、また目指す東大宮駅もここでコースを西に取る必要があった。幹線道に出るとあとは消化試合だった。

この地に住む知人はある仲間内での会を主催し会報を作成していた。今回ご自身の体調を考えそこから退くと言われた。放っておくと会は自然消滅だった。後継者が必要だった。自分は手を上げて何人かに働きかけた。それが形となり新メンバーが集まり皆で新しい会報を作り上げた、それを彼に見せに行くのが目的だった。冊子を手にして彼は喜ばれていた。自分の作った世界が多少形は変われど途切れることなく誰かに継続される。それは嬉しい事だろう。

そんなリレー役を終えて、自分も帰路に着いた。埼玉は浦和に父方の伯父が住んでいた。小学生のころから何度も行った懐かしい地だった。帰路にその家を探し当てた。伯父が他界し義理の伯母はその一年後に亡くなった。七、八年前の話だった。懐かしい家にはもう違う標識が掛かっていたが古びた町内会の立て看板地図には懐かしい自分と同じ苗字が残ったままだった。外見こそ父に似てはいるが穏やかだった伯父、それに社交的だった義理の伯母の顔が浮かんだ。笑い声すら聞こえそうだった。

枝道に入ると再び桜が続いた。春爛漫の日だった。そんな日に途切れかけていた何かを繋ぎ、昔日もまた当時の空気と共に目の前にあった。小さな自転車の旅は風景という生地を時間という糸で縫っていくものだ、と改めて知った。色彩溢れる今日のその風景は桃源郷なのだろうと思った。

桜並木と菜の花畑の中を走った。色彩が自分を包みこみ僕は春に溶けていた。