学生時代の友とは面白い。わずか四年とは言え同じ時間を共有した。当時の彼等の物の言い方も考え方も表情も声もすべて頭に入っているのだから、当時とはシームレスに会話が進むのだった。
あの頃は楽しかったわね。還暦を超えるなんて思ってなかったなぁ、そんな昔話が切り出しになるが、年齢相応に話題が変わっていく。病気自慢に始まる。そして将来の不安へ。もし一人になったとき、何かがあったら誰に発見されるのだろう。溶けていたら嫌だね。溶けるって?人間死んだら腐敗するでしょ、溶けるのよ。やだねと。
認知症になったらどうする?介護保険の枠ですむのかな?汚物を壁に塗りたくりたくないね。何があっても良いように認知症もカバーされる保険を考えているよ。
え?今からそんな保険に入れるのかな。そう聞いた僕はすでに認知力の低下を認識しているので現実的な心配でもある。
全てにつけてそんな話だった。そして誰からもなく「ピンコロが、いいね。ピンピンコロリと死にたいね」と言い出す。すると誰もが待ってましたのようにピンコロピンコロと唱和して、自嘲気味に笑う。「とうとうその言葉が出たか!」と。
緑に満ちたキャンバスで年相応の悩みを分かち将来について語りあった仲間たちだった。そして四十年近く。誰もがそれなりに歳を取り話題も変わっていたのだった。あと何年働く? 退職金はどうする? 年金は何歳からもらう? 故郷の親の面倒は? 介護は? 家督はどうする? ・・・自らはピンコロで。
こんな話をするとは思ってもなかったがもうそんな年齢なのだった。誰もが向き合わなくてはならない。ピンコロか、やはりそうなりますか。
また会おうねと言って解散となった。次に合う時間も場所も決まっていない。しかし僕は強く思うのだった。次に会う時もそしてその先もずっと仲間内の誰もがピンコロなどしないと。それは強い希望かもしれないが確信なのだ、と思うようにしている。