日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

俊英の筆

自宅で新聞を取らなくなって久しい。時事ニュースはネットが早い。経済記事は日経電子サイトがあった。こちらは有料だったがいつでも気軽に読めた。それもあり新聞を止めた。朝4時半にポストに投函される音で目覚める事もあったがそれもなくなった。

日経電子サイトもしかし、会社を辞めると真っ先に解約した。もう自分に不要だった。地元社会の福祉施設である今の職場に来てからは紙の新聞に再び触れる事が出来た。来館者の為に新聞を取っているのだった。全国紙ではなく地方紙、それにスポーツ新聞だった。

スポーツ新聞はさておいて地方紙は地元についての記載が多い。全国紙より役に立つ情報があるように思えた。社説なりコラムは新聞によって毛色が違う。社説は時事に対しての新聞社としての論説。○○新聞は右寄りだから、△◇新聞は左寄りだ、という話があるがそれは社説や記事の報道姿勢から言われるのだろう。対してコラムはコラムニストが時事、身の回りの事に触れ小論文形式に纏めたもの。エッセイとも違いそうだ。しかしコラムニストも新聞社の社員。あるいは外注にせよ新聞社が目を通す訳で、あまり自社の論説とかけ離れたことも書けないのではないだろうか。

自分は仕事の合間を見て、職場の読み終えた新聞のコラムを切り抜いてスクラップしている。言葉や表現方法、纏め方の参考になろうかと。新聞にコラムを書く以上、彼らの筆は立つ。500字から600字の言葉で起承転結を作り上げる。600字でそれをまとめる困難は、毎日だらだら1200字から2200字程度でブログを書く自分には到底真似が出来ない。積み重ねるよりもそぎ落とす方がよほど難しい。1600字以内をいつも目指すが達成できない。彼らがどのようなロジックで筋書を考え筆に落としているのか聞いてみたいと思う。しかもそれを日々の生業にしているのだ。

コラムの構成としてはほぼ共通だ。前振り、本題あるいは本題の伏線、本題か類似する事項あるいは伏線の回収、コラムニストの意見なり意思あるいは思い。やはり起承転結の成立がある。最後の結びにはパターンが幾つかあるように思える。時事を嘆くもの、時事に憂いて為政者に対して皮肉で締めるもの、時事を俯瞰して読者に疑問や同調を投げかけるもの、時事に心を痛めつつ同情するもの、時事の当事者に寄り添いより明るく前向きな光を与えるもの。。。ほぼそんな形に分類されるだろう。

天声人語」を読むと文章に対する理解力と作文力が向上する。そう中学の国語の先生は言っていた。当時自分は広島市民だったので中国新聞を取っていた。が親に頼み込んで朝日新聞を取ってもらった。正直内容はよく理解できなかった。すぐにやめたと記憶する。

新聞社でペンを握る。時事を読み分析する力。考えをまとめそれを支えるための情報収集。語彙の蓄積。表現力。文章力。彼らは論客であり俊英と言える。改めて自分は何を書きたいのかと考えてしまう。コラムのパターンの中では当事者に寄り添い明るい光を作るもの、に憧れる。もしコラムに欠けているものがあるとしたらそれは文学の香りかもしれない。小説ではないのだから当たり前だろう。が直截でありながら余韻を持ち、文に触れた読者の中で何らかの想像が膨らみ少しでも心の扉が動く、そんな文章に僕は憧れを持つ。それがエッセイなのか掌編なのか、わからない。

よしなしごとを書いてしまった。結局俊英でもない自分は駄筆を重ねていくだけだろう。しかしそれが何かの形になる事があるならばそれは自らの生きる証ともいえるかもしれない。

時間が出来たので出費の許す範囲で再び新聞を取ってもいいかと思っている。俊英の筆は何かの助けをくれるかもしれないから。

 

A4用紙の裏表。一枚で計八コラムのスクラップ。読みごたえがある。学ぶものがある。しかし目指す姿ではない。ただ言える。俊英の筆は素晴らしい。

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