日々これ好日

山や自然、音楽が好き。そんな私は色々な事が起きる日々の中で、好き日を過ごす事を考えています。

整理整頓

誰しも何に付け得手不得手がある。身の回りの整理などは最たるものだろう。その人の机の上を見ればほぼどんな人かがわかる。現役時代の自分の会社の机の上には書類が軽く20センチは溜まっていた。それが一箇所ではなく机の左右に在り辛うじてPCと外付けモニターがその塔の倒壊を防止していた。しかしそんな人に話を聞けばこういうのだった。「何処に何の書類があるかは分かっている。だから崩さない」と。

それが本当なら凄い頭脳の持ち主になる。いやそうではないことは自分が証明している。今も机の上は本や文具の箱、聞きかけのCDなどで山積みだ。しかもいつも探し物だ。砂の中の針だった。

一方綺麗さっぱりに整理されている人もいる。オフィスの机ほど人の多様性を示している場所もないだろう。尤も今はオフィスもフリーアドレスが浸透し空いている好きな机で仕事をするようになったという。個人の書類は、頭の中か。

今や欠かせぬログイン情報やパスワード。問われてもあれれといつも首をひねる。情報をうまく管理することは避けて通れない。

システム手帳が世に出たのは何時だろう。入社数年目で手にしていたから1980年代末にはあった。カレンダー、TO-DOリスト、メモ、そんな具合にリフィルを入れて情報を整理する。最初にA5版の物を買った。しかし欲張って色々なシートをはさむと重くなり、いつかカバンから出してしまっていた。頁の多くは空白だった。

持ち運びが苦にならぬ軽い物が欲しくなり黒皮のポケットサイズを手にした。意気込んで色々な種類のリフィルを買ったのだが結局使っていたのはカレンダーだけだった。しかし何にせよ手帳のサイズが小さくて豆のような字を書く必要があった。会社を早期退職し再就職先が決まった時に気分一新で今度はバイブルサイズにした。赤い皮の手帳だった。

バリバリ使おうと意気込んだが研修期間中にガンに罹患し長きにわたる入院でこの会社で働く事は無かった。赤い手帳のカレンダーに今後の治療予定を書き、メモ頁に「自分が世を去ったらこうしてほしい」と通帳のありかと暗証番号、不動産の処理方法を書いた。それはちょっとしたエンディング・ノートだった。残念な使い道だった。

きっと自分は革製品が好きなのだろう。金属のリングがついているのでそれなりに重い。しかし手に握る時の感覚は心地よい。ようやくそこに各種のアカウントやログインID、パスワードなどのデジタル社会で過ごすためのページを加える事が出来た。落として拾われても悪用されぬように隠語を使った。少しはシステム手帳らしくなった。

退院してすぐにブログや掌編を書き始めた。ブログネタは情報としては小さくスマホに思いつくままキーワードを残している。一方、掌編はネタというよりも構想だった。テーマが色々浮かんでは消えていく。そんな頭の中を整理したかった。大学ノートにテーマ、構成案などを書いていった。しかしそれはたびたび姿を消した。整理されていない自分の机の上なのか、乱雑な本棚の中なのか、寝床なのか。行方不明だった。ありきたりの大学ノートだからそうなるのか。

頭の中に電気が灯った。好きな皮製品ならば大切にするだろう。軽くて簡易な皮製?A5サイズでネットで見つけたのは一枚皮に金具を付けたものだった。裏地も無いペラペラの茶色い皮だがその分軽そうだった。

今それを手にしてほくそ笑んでいる。長方形の皮の真ん中にリング金具のみ。確かに薄っぺらだが期待通りの触り心地だった。何種類かのリフィルも用意した。しかし困ったことにあまり書く内容が浮かばない。頭の中に沢山の事が浮かぶのだがそれを整理してノートに書く事が出来ないのだった。身の回りどころか頭の中の整理整頓も苦手なのだ。すぐには克服できないのだった。

器を用意してもどうやら役に立ちそうにない。しかし赤い手帳と茶色い手帳。スケジュールオーガナイザーと構想ノート。なんとか使い切ろう。手垢で真っ黒になる頃に何が起きるのかは誰も分からないな。不得手な整理整頓も克服できるか。そんな独り言を言いながら二色の皮に保革油を塗りこんだ。

バイブルサイズとA5サイズ。革ならば大切に扱い愛着も湧く。しかし中身をどう育てるのかは本人次第。出来るのだろうか、自分に。

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