木材は工作の前に角を面取りするように。そう技術家庭の時間に教わった。角材から木柱を作る場合でなくとも、木肌が手に接する箇所は角をやすりで綺麗に落とすように、そんな内容だったと思う。
心地よく晴れた休日だった。朝の散歩では北からの風は強かった。しかし少し経つと太陽が温かみを運んでくるように思えた。文句のつけようのない天気が予想された。これは家に閉じこもる季節ではなくなったか。そこで妻に提案した。お弁当でも作ってピクニックにでも行くか、と。風が強ければ逃れる事が出来るように、テントを張ろうと。
緩やかな丘陵の続く芝生の公園がある。園外の消防署に英語の標識があるのはその先に米軍関係者の居住区があるからだった。今はどうなのか知らないが数十年前、そこはアメリカだった。今も園内には西洋人が多いのはそんな影響だろう。荒井由実が歌うソーダ水の中の貨物船の風景はこの公園の門の前の坂道にある。
独特の雰囲気に溢れるこの公園で自分はいったい何枚のシャッターを切っだろう。学生時代に友とバイクでつるんで来た時、結婚前の妻と来てポーズを取ってもらった時、もつれ合うように走る子どもたちを連れて来た時。多くの写真が記憶にある。
即座にその公園を行先に選んだ。広大な芝生には多くの家族が溢れ子供達の遊び声が流れてくる。風はいつの間にか冷たい棘をどこかに落としてしまったようで全く痛くなく、むしろ優しかったのは意外だった。風よけは不要に思えたがテントを張ったのはただ一つの理由だった。
テントの中で横たわり、流れる空を見上げたい、それだけだった。一体幾つの夜をテントで過ごしたのか、数える気もなかった。ヘロヘロになりながらたどり着いた山小屋の幕営指定地で、自分以外誰ひとりのひと気のない山頂で、獣の気配が濃厚な谷筋で。自分に羽が生えたかのような気分をくれるこのナイロンのソフトハウスがあれば僕は全く自由だった。
北風を避けるように三十年使っている登山用テントを丘の南裾に張ったのでそこは冬の日溜まりだった。短時間で急ごしらえした簡単なランチボックス。昔子供たちとこの公園に来た頃のようにウズラ玉子とタコさんウィンナーも、アスパラのベーコン巻も、玉子焼きも、オリジナルの蒲鉾ピカタも。どれももうタッパの中にはなかった。冷凍食品を温め残ったご飯を握りテルモスに暖かいお茶を入れてきただけだった。しかしそれが美味しかった。犬にもおやつを持ってきた。少しのササミとサツマイモだった。
僕はテントの中で読みかけの本を開いた。ソローの「森の生活」。難解なこの書は戸外で読むと読み進められようと思ったがやはり難しいものは何処で読もうと同じだった。本は手元に落ち気づけば僕は眠っていた。と、すぐ横に敷いた銀マットの上で妻と犬も寝ている。風が犬の長い耳の毛を気まぐれに揺らした。彼はそれで目が覚めたようだった。
なんと素敵な日だったことだろう。風が強まった。胴震いは犬の専売だが自分もそうした。体を覚まし、服についた枯芝を落とすためだった。吹く空気の角はとうに削られ風は梅の花を運んできた。すっかり冬は、面取りされていた。
来月になればこの丘陵はすべてが桜に覆われる。その時はどんな風が吹いているのだろう。